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若駒 1

 

3004 ミナス・ティリス

 

幼くとも気持ちは誰にも負けません

ロヒアリムの少女はそう言った

 

 

ローハンから年上の従兄に伴われてやって来た、ロヒアリムらしい豪奢な金髪の少年はキラキラと瞳を輝かせて憧れの嫡子を見詰めていた。

 

2年前ローハンの王・セオデンの妹が亡くなった時、王は妹の二人の子共、兄・エオメルと妹・エオウィンを妹の嫁ぎ先である東谷からエドラスに引き取った。

妹の夫である東谷の領主が既に亡くなっていた為でもあったが、セオデンがこの妹の子を甚く可愛がっていた事の方が二人を引き取った大きな理由であった。

ローハンの王子・セオドレドと昵懇の仲であり、馬の司と呼ばれるローハンの民・ロヒアリムにも絶大な人気を誇るボロミアは、兄妹がエドラスに引き取られた折招かれてローハンを訪れた。

この時兄妹の兄エオメルは、白の都の美しく凛々しい継嗣に一目で魅了されてしまったのである。

そのエオメルの2年越しの念願が叶ってのミナス・ティリスの訪問となった時、ここ最近の白の都には珍しく、執政家の兄弟がミナス・ティリスに揃っていた。

その為、午後には気楽な茶席が用意され、白の都と馬の司の公子達が一堂に会する事となった。

 

ファラミアは一目その少年を目にした時から、少年の目に兄への強い憧憬を見て取り、その危うさを感じずにはいられなかった。

そもそもロヒアリムに対しては、常日頃から好意的な兄が、この伸びやかな若駒の様な少年を気に入るであろう事は目に見えていた。

予想に違わず、すっかり兄に懐いた少年が頬を上気させて近況を語るのを、子共好きの兄は見るからに楽しそうににこにこと眺めていた。

ファラミアは、年下の従弟に“友”を独占されて面白くないのが態度に露わな黒髪の継嗣に向かって、すっかり習い性になった穏やかな笑顔を貼り付け仮面の下から、鋭い視線を投げた。

ファラミアの視線に気付いた継嗣はつ、と立ち上がり「エオメル」と、従弟に向かって呼び掛けた。

「はい」

と素直に返事を返した少年に

「折角ミナス・ティリスまで来たのだから部屋の中ばかりに居ても勿体無い。

 白の都が誇る見事な教練所を見せて頂いたらどうだ?」

と言いながら、少年が座る椅子の側に歩み寄った。

ファラミアも立ち上がり

「それは結構ですね」

と巧みに慇懃な声音を隠した声で、兄の側へと足を運んだ。

ボロミアとエオメルを挟んで対峙した笑わぬ笑顔の青い目の公子と、鷹揚な笑顔に燃える毒を含んだ黒髪の継嗣は同時に言った。

「セオドレド殿がご案内下さるので?」

「ファラミア殿がご案内頂けるかな?」

ボロミアとエオメルはそれぞれ弟と従兄をきょとん、と見上げたが、次の瞬間ボロミアが、如何にも面白そうに笑いながら立ち上がった。

「二人共よく気が合う事だ。

 良い、私が案内しよう」

“え?”という表情で固まった公子と継嗣を尻目に、ぱっと顔を輝かせて立ち上がった少年は「ありがとうございます!ボロミア様!」と、弾む様な足取りでボロミアと共に部屋を出て行った。

 

墓穴を掘った二人は暫し呆然とその場に突っ立っていたが、やがて気を取り直すと険悪な視線を互いの顔に投げ合った。

「墓穴を掘りましたね」

「それはお互い様だな」

沈黙の降りた静かな部屋で氷と炎の視線だけが公子と継嗣の間に火花を散らしていた。

先に口を開いたのは炎の視線を持つ継嗣であった。

殊更陽気な声で

「やれやれ、折角久しぶりに我が友とゆっくり語り合うつもりであったが、不粋な小姑ののせいで邪魔が入ったな」

そう言った継嗣に、こちらもまた殊更温厚な声音で

「持ち込まずともよい火種を持ち込んだどこぞのお世継ぎのお蔭で、私も我が兄を案じて気苦労が絶えませぬ」

と氷の視線を持つ公子が答えた。

この公子の言葉に、セオドレドが閉口した様に表情を歪めた。

「エオメルの事なら私のせいではないぞ。

 一昨年ボロミアに会って以来ミナス・ティリスに連れて行けと煩かったのだ。

 父上にまで連れて行けと言われては連れて来ぬ訳にはいかん」

セオドレドはエオメルが座っていた椅子にどっかと腰を下ろした。

「セオデン王が?」

「父上はエオメルに甘いのだ」

と、卓の上の菓子を抓んで口に放り込んだセオドレドは顔を顰めた。

「やはり酒の方が好いな」

「持って参りましょう」

ファラミアは小卓に用意してあった葡萄酒とゴブレットを二つ取ると、円卓に戻り、ボロミアが座っていた椅子に腰を下ろしてセオドレドと自分の前に置いた。

杯に酒を注いだファラミアに

「妹まで連れて来なかっただけ良しとして欲しいところだ」

と、セオドレドは杯を干してそう言った。

「妹…と言われるとエオメル殿の?」

ファラミアも杯を口に運びながら聞く。

「ああ、これがなかなかのじゃじゃ馬でな、自分も一緒に行くと言って聞かなかったのだ」

一体どれだけ同じ穴の貉が湧いて出る事やら…と顔を顰めたファラミアに、次のセオドレドの言葉は意外な展開だった。

「何しろエオウィン…ああ、妹の名がエオウィンというのだが、エオウィンはエオメルにべったりでな」

酒豪で鳴らすセオドレドは手酌で杯を満たしながら

「まだ九つの少女にこの旅程は無理だといくら言聞かせても、そんなに長い間兄と離れるのは嫌だと言い張って、宥めて置いてくるのが大変だったのだ」

と、眉根を寄せて杯を舐めた。

「エオメルも普段は妹に甘いゆえ妹の言う事は何でも聞いてやるのだが、今回ばかりは流石に宥める側に回った故、それも気に入らなかったのだろう」

「それはご苦労な事で」

途中から話を半分聞き流して、ファラミアも手酌で酒を杯に注ぎながら

“そういう事であれば然程貉の子を気にする事もなかったか”

と考えたところで、セオドレドの言葉がその甘い考えを吹き飛ばした。

「エオメルにしても、妹が一緒ではろくにボロミアと話も出来ぬ故、宥めるのに必死だったからな」

“え?”

「セオドレド殿…、それはどういう…?」

「一昨年ボロミアがローハンに来た時がまた大変でな」

とセオドレドは苦虫を噛み潰した表情になった。

「普段は妹に何でも付き合ってやるエオメルが、ボロミアに熱を上げて妹をほったらかしにしていたせいでエオウィンがすっかりへそを曲げてな。

 ボロミアに向かって“お兄様を取らないで”なんぞと言い放ってちょっとした騒ぎになったのだ」

ファラミアは口を付けていた酒を吹き出して盛大に噎せた。

驚いたセオドレドが「おいおい」と公子の背を摩りながら

「七つの子供が言った事にそれ程驚く事もあるまい」

と言ったが、ファラミアは暫くごほごほと噎せていた。

セオドレドは呆れた様に

「所詮子供の言う事だ。

 何しろその後エオウィンは“私、大きくなったらお兄様のお嫁さんになるんだから”とまで言ったんだぞ」

「はあ…」

何とか息の整ったファラミアは気の抜けた様な声でそう洩らした。

「皆で幼い子供の言う事だからと宥め様としたのだが“幼くとも気持ちは誰にも負けません”と真剣な顔で言うのだ。

 あれには参った」

“同じ穴の貉である事に変わりはないと言う事か。

 これが血筋とすれば、若駒殿に対する危惧も強ち杞憂とは言えぬ訳だ“

ファラミアはげんなりとした表情で小さくため息を吐いた。

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