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初恋 1

 

3010 ヘンネス・アンヌーン

 

報われる事など望んでいません

ただ愛し続ける事だけが

私の贖罪なのです

その婦人<ひと>は言った

 

 

兄が白の塔の総大将となったのを機にファラミアは正式に近衛の正規軍から除籍され、偵察と情報収集の為、ヘンネス・アンヌーンに常駐する遊軍を率いる身となった。

この決定には執政である大侯の意向が強く働いていた為、廷臣の中にはファラミア排斥を疑う者も少なくはなかったが、ファラミア自身は、元より戦場での武勲を望む気持ちがさして強くない上、戦場での情報力の重要性を充分に理解していたので、この任務に対しては全く不満はなく、むしろファラミア自身は性に合っていると思っていた。

 

しかし、有事の場合を除き、定例の状況報告と軍議以外に白の都に戻る事もままならぬ身とあっては、東からの影に加えアイゼンガルドに居を定める白の魔法使いに窺える、不穏な動静への警戒が増す中、白の塔の総大将としてその双肩に更なる重責を負った兄とはすれ違いが続き、この半年程はまともに顔を合わせる事すら叶わない状況だった。

 

“これ程兄上にお目に掛かれないのは、ドル・アムロスに預かりの頃以来か…”

 

ヘンネス・アンヌーンの岩屋で状況報告の為の報告書にペンを走らせていたファラミアは、ふと手を止めてそう思った。

手元の薄い羊皮紙の上に踊る様々な数字や模式図、箇条書きにまとめた状況の分析結果等に目を落としたファラミアは“何とも味気ない書面だな”と微かに苦笑した。

 

ドル・アムロスに在った頃兄に書いた書状には、兄を思う心情を僅かながらでも伝えたい一心で、幼いながらも切々と兄への想いを綴る、今読めば気恥ずかしくなる程一途な文面が紙一杯に溢れていた。

 

簡潔だが感情の籠らぬ報告書を書く手を止め、ファラミアは大きく一つ伸びをした。

 

ドル・アムロスからミナス・ティリスに戻った時ボロミアは「そなたの書状は全て取ってあるぞ」と見せてくれた。

勿論ファラミアとて兄から貰った書状は今も全て大切に取ってある。

その内容を思い出そうとするかの様に僅かに遠い目をしたファラミアの背に

「如何されましたか、ファラミア様」

と声が掛かった。

振り返るとそこに、年配で小柄ながらがっちりと筋骨逞しい武将が気遣わし気に立っていた。

「トゥランバールか」

ファラミアは振り向いて立ち上がると

「報告書を書いていて少々肩が凝った。

 少し付き合ってくれ」

とそう言い、岩屋の奥の食料庫に行くと麦酒の瓶と有り合わせの摘みを持って、トゥランバールと呼ばれた武将が腰を下ろした小卓の前に戻って来た。

年配ながら酒の強さではファラミアに引けを取らぬトゥランバールは葡萄酒より麦酒を好む。

それ故、特段酒の好みに煩くないファラミアはこの気心の知れた副官と酒を飲む時は必ず麦酒を選ぶ。

 

ヘンネス・アンヌーンに駐屯するのは野伏を中心にした遊軍である。

そうした組織である性質上、隊の長であるファラミア以外隊内に序列らしきものは殆ど見られない。

しかしこの如何にも豪放磊落な武将然とした年配の武官は、ファラミアがまだミナス・ティリスに戻ったばかりの頃からなぜかこの一見大人しやかな公子を非常に高く買っており、ヘンネス・アンヌーンの遊軍を率いるのが決定された際には、自ら進んで副官に就く事を願い出たのだ。

 

「報告書などファラミア様自らお書きにならずとも」

と言うトゥランバールの前に杯を置いたファラミアが

「ではそなたに任せようか」

と悪戯っぽく笑った。

トゥランバールは顔の前で盛大に手を振って顔を顰めた。

「とんでもない!儂は書ものは滅法苦手で御座る。

 第一齢でもう目も霞みますわい」

ファラミアはくすくすと笑って杯に酒を満たした。

「報告書を書くと自分の頭の整理にもなるのだ。

 戦場では一瞬の判断で雌雄が決する故、情報を瞬時に判断出来る様整理しておかねば情報を集める意味がない」

ファラミアの穏やかな笑顔の下には常に失われない冷徹さがある。

同様に一見無骨に見えるトゥランバールは、長年の経験から戦場に於ける情報力を非常に重視する深沈たる一面を持っていた。

如何に優れた武人といえども、戦場に於いては正確に整理された情報に裏打ちされた判断力なくば、その統率力を発揮する事も出来ずむざむざ敵に付け込まれるだけなのだ。

その点に於いて執政家の兄弟程見事な組み合わせはないであろうとトゥランバールは思っていた。

「怜悧な分析、果断なる判断の基で御座るな」

にやりと笑って杯を煽る老将に、ファラミアは苦笑した。

「そなたは私を買い被っておる」

ファラミアも杯を煽って人の悪い笑みを口元に浮かべた。

「単にそなたと違って書ものが好きなだけかもしれぬぞ」

「確かに、確かに」

トゥランバールは豪快に笑った。

「ファラミア様がご幼少の砌、ドル・アムロスでお預かりの身であられた頃には、毎月呆れる程兄上様に弟君の書状が届いて御座った」

三度ファラミアの口の端に苦笑が漏れた。

「然様、兄上から頂く書状の倍は書いていたであろな」

「ボロミア様は筆まめな性質では御座らぬ由に御座いますからなぁ。

 それに…」

と言い淀んで老将の表情が曇ったのを見て取ったファラミアが

「トゥランバール」

と声を掛けると、老将は

「ああ、いや、ファラミア様がドル・アムロスにおられた頃というと、ボロミア様初陣の頃の事を思い出しましてな…」

「何か…あったのか?」

「もしや…ファラミア様はご存知ござらぬか」

怪訝そうに老将を見遣るファラミアに、トゥランバールは言葉を濁した。

「ああ…、いや、確かに、皆敢えて口の端に上らせる話では御座らなかった故…」

「トゥランバール」

ファラミアは老将を射抜く視線を以て強い口調で言った。

「何があった」

老将は暫し逡巡した後悲痛な面持ちで口を開いた。

「ボロミア様が初陣から3戦目で負傷された後、都でご養生されておられた時の事で御座った」

 

兄が初陣より3戦目というと、兄からの書状が途絶えていた頃の事だ。

その時の事ならファラミアも知っていた。

城中に潜り込んだ間者の手引きで都に敵の侵入を許し、その折敵の矢から兄を庇って命を落とした者があったという。

兄の書状でそれを知った時の事をファラミアは今でも忘れられない。

詳しくは書かれていなかっただけに尚更兄の心の傷の深さを思い、幼いながらも胸の締め付けられる思いをしたのを今もはっきりと思い出す。

「その事なれば私も当時兄上から頂いた書状で存じておる。

 仔細は書かれておられなかったが、兄上の盾となって儚くなった者があったとか。

 幼心にも兄上のお心を思って胸を痛めた覚えがある」

「然様で御座ったか。

 確かにあの折は見ていた我等の方が辛う御座った」

二人は黙って杯を干した。

「あの女官見習いの娘が生きておれば、さぞボロミア様と似合の夫婦になっておりましたで御座ろうが…」

酒を注ぐファラミアの手が止まった。

「トゥランバール…それは…どういう…」

「どういうもこういうも…、はて、ファラミア様はニーニエルをご存知御座いませんなんだか」

「ニーニエル…」

「大層可愛らしい娘で御座った。

 ボロミア様もそれは大切に慈しんでおられただけに、お嘆きも一入で、ほんに傷ましゅう御座った」

 

ファラミアの目の中で世界がぐらりと揺れた。

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