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未明(後編) 3

 

大角笛継承式の後しばらく、ゴンドールの各所領地と同盟国は執政家の嫡男・白の塔の君の話題で持ち切りだった。

ドル・アムロスでも継承式に同道した供回りの文官達や親衛隊の武官達が、話を聞きたがる宮中の者に捕まっては、何度も同じ話を繰り返した。

それでも彼らが嫌がらずに話したのは、垣間見た継承式の華やかさ、荘厳さを語るのが、彼らにとっても誇らしい事だったからだ。

 

継承式でのボロミアの甲冑姿を目に出来たのは限られた僅かな者だけだったが、継承式の後メレスロンドで催されたささやかな晩餐の会に式服で現れたボロミアの姿もまた、継承式での凛々しさとは違う意味の美しさで、列席者の目を奪った。

晩餐会それ自体は然程贅沢なものではなかったが、白の塔の君が浮かべる極上の笑顔を堪能出来るに勝る贅沢はなかった為、列席者達は皆十分満足し、その宴を楽しんだ。

 

メレスロンドの宴に先んじ、ボロミアは、退官した守役や乳母、傷病の為軍を去った武官など、今は宮中を退いている者達が住まうミナス・ティリスの下層階に自ら足を運んだ。

異例の事ではあったが、デネソールはボロミアの好きにさせた。

ボロミアが宮中に於いてより、民の間に於いてより愛された所以がそこにあり、それこそがまたデネソールがボロミアを愛した理由でもあったからだ。

 

そもそも平素からボロミアは“お忍び”と称して、しばし朋輩達と市井に足を運んだ。

ただそれを、民に気付かれていないと思っていたのはボロミア本人だけだったが。

「民と同じ服装でいれば気付かれる事はあるまい」

などと平然と言い、しかも至って本気でそう信じているらしいボロミアが可笑しく、朋輩達は笑いをかみ殺したが、どうやらそれは母親譲りの所業だったらしく、下層に住む者達は慣れた様子で、ボロミアの“お忍び”に気付かぬ振りをした。

 

ただし、継承式のその日の下層階はいつもの“お忍び”ではなく、ボロミアをボロミアとして迎えていただけに、普段は知らぬ顔を決め込む町の者達も、正装したボロミアを一目見ようと、大変な騒ぎになった。

娘達は挙って一張羅を着込み、子供好きの嫡子にすっかり懐いていた町の子供達は、いつもとは別人の様な“優しいお兄ちゃん”の姿に目を丸くした。

男達でさえ麗しの君の姿に目を瞠った。

 

後日、宮廷画家が描いた継承式でのボロミアの似姿は、複製されてミナス・ティリスの町で飛ぶように売れたと言う。

 

そして、ドル・アムロスの公子・イムラヒルは、その様に継承式の話題で華やぐ宮中の様子を微笑ましく眺めていた。

しかし、それと共にイムラヒルの胸の内には、ひとつの決意も育ち始めていた。

 

継承式とそれに続く晩餐会でのデネソールの姿は、イムラヒルに深い畏敬の念を抱かせていた。

思えば義兄は、ゴンドール随一の名花、ドル・アムロスの金の真珠と謳われた姉・フィンドゥラスが「二十歳までは生きられぬであろう」と言われた弱い体を推し、父・アドラヒルの頑とした反対を押し切ってまで嫁した相手である。

“器が違う”

それが今のイムラヒルの、義兄に対する偽らざる思いだった。

“見通す目を持つ西方の血…だけではあるまい”

とイムラヒルは思う。

継承式でボロミアを挟み、自分の向かいにずらりと居並んだ廷臣達の中には、数こそ極僅かとは言え、確かに笑わぬ目をした者達がいたのを、イムラヒルは自ら目の当たりにした。

人の心を読み、遠く深く、時に未来さえ見通すと言う西方の血に受け継がれる超常の力を、姉・フィンドゥラスは受け継がなかった。

そして、執政家の長子たるボロミアは、父であるデネソールではなく、母・フィンドゥラスの血を濃く継いだ。

長じるに従い、西方の血に受け継ぐべき超常の力が一向に顕れぬボロミアに眉を顰めた重臣が幾人かいた事を、イムラヒルは知っている。

“西方の血を絶やしてはなりませぬ”

繰り返される重臣達の言葉に、どれほど姉が心を痛めたかを思うと、イムラヒルは今でも激しい憤りを禁じ得なかっが、結果、執政家はデネソールの血を濃く継いだ次子・ファラミアを得る事となった。

姉・フィンドゥラスの命を縮める事と引き換えに。

 

継承式でボロミアが纏った甲冑が、イムラヒルの脳裏に鮮やかに蘇る。

あれはデネソールの宣言だ。

執政の右方側面に立つ廷臣達が式典の間中目にしていたはずのボロミアの左胸、心臓の上に置かれたファラミアの瞳の色を思わせるサファイアが嵌め込まれた飛翔する大鷲の目。

“長子は長子、次子は次子”

それは無言のうちに廷臣らに告げていた。

“次子・ファラミアの西方の血は、以って兄・ボロミアの命を守り支える為にこそあれ”

と。

 

如何に兄弟の絆が強くとも、西方の血に固執する廷臣の中には、ファラミアを担いで密かにボロミアを廃嫡しようとさえする動きがあったと聞き及ぶ。

義兄がどのようにしてその企みを闇に葬ったかを思うと、自然暗い心持にならざるを得ないが、それ故イムラヒルの義兄に対する畏敬の念は、より一層強くなる。

ファラミアをドル・アムロスに預け置いた真の理由もそこにあったかと、今更ながらに思い知らされ、イムラヒルは舌を巻く。

 

ミナス・ティリスにファラミアがいる限り、ファラミアを擁し奸計を弄しボロミアを廃しようとする輩に、兄弟の絆は翻弄されるだろう。

しかし、ファラミアが遠くドル・アムロスに留め置かれては、不逞の輩がファラミアを擁すに適わず、元より強く結ばれた兄弟の絆は、離れて互いを想い合う事で、より強く純粋に結ばれこそすれ、翻弄され、揺らぐ事はあり得ないのだ。

“全く…義兄上には敵わぬな…”

だからこそ…と、またイムラヒルは思う。

 

普段質素を旨とし、全く持って贅沢と縁遠いデネソールがあれほど継承式に贅を尽くし、ボロミアの執政家継承を、大仰に国内外に知らしめた理由を。

 

『執政家を継ぐのは長子・ボロミアである』

 

そのデネソールの宣言は遍く国内外に知れ渡った。

もはや廷臣の暗躍如きでこの宣言は覆らない。

 

イムラヒルは自らの傍らで、既に何度読み返したか分からぬ兄の手紙を、再び読み返しているファラミアを眺めやった。

 

“時が至ったのかもしれぬ…”

 

イムラヒルは、ファラミアの柔らかい髪に温かい手を置いた。

優しく髪を撫でる叔父の顔を見上げたファラミアの澄んだ笑顔に、イムラヒルの胸は締め付けられる様な痛みを覚えていた。

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