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大公家の御家事情

 

ゴンドールの執政家に、嫡男であるデネソールの次男が誕生した、との報せが届いた時、イムラヒルは喜びより寧ろ安堵の方が大きかった。

大国ゴンドールが領有する国々の中で唯一公国として認められているドル・アムロスは、執政家に長女を嫁がせており、デネソールの妻となったその公女フィンドゥイラスは、イムラヒルの姉だった。

幼い頃より病弱であった姉は、五年前に執政家の後継となる第一子を設けた時、出産には命の危険を伴うと言われたのである。

誕生した長子が男子であった事もあり、当時姉に第二子を望む声は大きくなかった。

しかし待ち望まれたはずのその赤子は、程なくして国政の中枢を占めるゴンドール有力諸家の槍玉に上がる事となる。

赤子の中に“西方の血に継がれる恩寵”が見られなかったからだ。

父であるデネソールが、西方の血に備わった強い超常の力に恵まれた身である事は国内に知らぬ者なき事実であり、同時に彼の妻であるフィンドゥイラスが西方の血を継ぐ家系に生まれながら、何一つその恩寵に与らぬ身である事もまた周知の事実であった。

“執政家の後継は奥方の血のみを継いだ”

西方の血を継ぐ家の名に拠ってその地位を得た重臣達は、まだ生まれて間もない赤子にそう不満を募らせた。

やがて彼等はデネソールの父である執政エクセリオン二世に“西方の血を継がぬ男子に国政は任せられぬ”とし、生まれた第一子ボロミアは廃嫡、フィンドゥイラスは廃位とした上で、デネソールには改めて西方の血を継ぐ然るべき姫を妻として迎え、西方の血を継ぐ後継を儲ける様強く迫った。

一致団結した重臣達の訴えは重く、エクセリオンも止む無く息子に一考を促したのだが、それに対してデネソールは

「我が後継はボロミアのみ。

 次子を望む由は非ず」

と譲らず、これに因ってそもそも良好とは言い難かったデネソールと重臣達の間に大きな亀裂が入る事となった。

イムラヒルの重臣達に対する憤りは大きかったが、同時に彼は、デネソールの余りにも柔軟性に欠ける対応にも失望した。

事態が悪化する事で誰より傷付くのは姉だろうに…と。

無口で無愛想で厳しい目を持つその義兄がイムラヒルはどうにも苦手だった。

普段控え目で、大凡我を通すという事をしない姉が、父の反対を押し切ってまでデネソールに嫁いだ気持ちが、イムラヒルにはどうしても理解出来なかった。

だが彼の双子の姉、イヴリニエルは違っていた。

イムラヒルより遥かにフィンドゥイラスを慕っているはずのイヴリニエルは、なぜかその義兄を厭うてはいなかった。

イムラヒルにはそれが不思議でならない。

双子であるだけに、イムラヒルにはイヴリニエルがどれ程強い思慕を姉に抱いているかが手に取る様によく解る。

イヴリニエルにとって姉は、この世に唯一人、誰にも代え難い特別な存在なのだ。

西方の血を濃く継ぐイヴリニエルは、生まれて数時間と経たずして、フィンドゥイラスの顔を見分けて笑ったと言われている。

正確には実際に目で見て見分けたというより、その血に備わる超常の力に依ってフィンドゥイラスの顔を認識したのであろうと思われるのだが、何れにしろイヴリニエルがこの世で最初に認識したのは五歳年長の姉だった。

以後イヴリニエルは物心も付かぬうちより常に姉の姿を追い求めた。

姉の姿が見えぬと泣き止まず、それに反し姉が傍に居さえすれば機嫌が良かった。

眠りに付いたイヴリニエルが姉のドレスの裾を握って離さない為、しばしば彼女が妹に添寝したという話は、今でもドル・アムロスの語り草となっている。

 

二十歳までは生きられぬだろう、と医師に宣告された程に病弱であったフィンドゥイラスは、ドル・アムロスの宮廷深くひっそりと真綿に包むかの如く大切に育てられた。

西方の血を継ぐ家に生まれながら、その恩寵に与る事なく弱い体に生まれ付いた稀有な美しさを持つ心優しいその少女を、公国の誰もが哀れんだ。

父母さえもそうだった。

だがイヴリニエルだけが違った。

姉を求めて手を差し伸ばす、その生きる力に溢れた幼い妹は、フィンドゥイラスにとってもまた、かけがえのない存在だったのだ。

長じる程に姉妹の縁は深くなった。

特にイヴリニエルのフィンドゥイラスに対する強い思慕は、時に双子の弟であるイムラヒルが危うさを感じる程だった。

フィンドゥイラスがデネソールに嫁ぐと決めた時、イヴリニエルは取り乱し、泣き喚いた。

 

イムラヒルは当然イヴリニエルがミナス・ティリスに姉を攫って行ったその男を恨むだろうと思った。

だが予想に反し、寧ろ彼女は義兄に対して篤い信頼すら寄せている様だった。

姉が嫁いで直ぐの頃など、下手をすると単騎でふいっとミナス・ティリスまで馬を飛ばし、大騒ぎになっているドル・アムロスに上機嫌で帰って来たりもした。

イヴリニエルが変わったのは、ドル・アムロスにフィンドゥイラス懐妊の報せが齎された頃からだった。

姉に会う為だけにミナス・ティリスに馬を飛ばす、という事がなくなった。

公務でミナス・ティリスを訪れる際には公女としての顔を崩さなくなった。

笑わなくなった。

ボロミアが誕生してからはますますミナス・ティリスへの足は遠退いた。

ゴンドールの重臣達が姉を廃位にせよと騒ぎ立てているとの噂がドル・アムロスに聞こえて来る様になると、眉間に深い皺を刻んで物思いに耽る様になった。

嘗て“ドル・アムロスのじゃじゃ馬姫”と呼ばれたじゃじゃ馬ぶりはすっかり影を潜めた。

 

そのイヴリニエルが再び嘗ての姿を取り戻し始めたのは、ボロミアが三歳になった頃、父の使いで出掛けたドル・アムロスより戻ってからだった。

相変わらず口数は少なかったが、ミナス・ティリスを望む北東の窓辺で何やらじっと掌を見詰めるイヴリニエルの表情には、明るい希望の様なものが感じられる様になった。

 

一年後、思いもかけない形でイムラヒルが再びイヴリニエルのじゃじゃ馬ぶりを目の当たりにしたのは、フィンドゥイラス第二子懐妊の知らせがドル・アムロスに届けられた日だった。

イヴリニエルの居室を訪れたイムラヒルが部屋の扉を開けた瞬間、「嘘つきっ!」と手近にあった椅子を蹴り飛ばす彼女の姿が目に飛び込んで来たのだ。

「イ…イヴリニエル?!」

そう目を白黒させるイムラヒルを振り返ったイヴリニエルは、今からミナス・ティリスに行くと言い出して双子の弟を慌てさせた。

だが、そんな彼女を宥めながら、なぜだかイムラヒルはうきうきと気持ちが弾むのを感じたのだった。

しかしそれから一年、ミナス・ティリスから第二子が執政家に誕生したとの報せが届くまでの間、イヴリニエルは奇妙な沈黙を守った。

 

果たして第二子誕生は西方の血を濃く継ぐ男子であるとの吉報を伴ってドル・アムロスに齎された。

その報せに父アドラヒルは小躍りし、母は嬉し涙を流した。

イムラヒルはほっと胸を撫で下ろし、子供好きの妻は我が事の様に喜んだ。

唯イヴリニエルだけが憮然とした表情で腕を組んでいた。

そんな中、驚いた事にアドラヒル大公が一家総出でミナス・ティリスに孫の顔を見に行くと言い出した。

すぐさま母が同意し、支度が大変と言ってはしゃいだ。

イヴリニエルは憮然とした表情のまま椅子に踏ん反り返って足をぶらぶらさせたが、“行かない”と言い出す様な事はなかった。

困惑したのはイムラヒルである。

大公は勿論、大公の代行を務めるイムラヒルまでがミナス・ティリスに出向くとなれば、往復に掛かる時間も含めた長期間、君主不在のドル・アムロスは政務の停滞を招く事になる。

当然イムラヒルは領国に残ると言ったが父は聞き入れなかった。

何より母がそれを許さなかった。

母は前年息子が娶った嫁を殊の外気に入っており、ミナス・ティリスまでの長途の旅を、手の焼ける実の娘と行を共にするより気に入りの嫁と過ごす事の方を望んだのだ。

ふっくらとした少女の様な愛らしさを持つその嫁は、人を不快にさせない大らかさを備えており、母は勿論、人の好悪がはっきりしているイヴリニエルでさえ彼女には好意的だった。

それもあってか、イヴリニエル自身も長途の旅を弟の嫁が母の相手をしてくれればありがたいと考えたのか、珍しく母に同調した。

父は西方の血を濃く継ぐ孫の誕生で完全に舞い上がって役に立たない。

止む無くイムラヒルは父に代わって前倒しの案件処理、不在の間を託す廷臣達への政務の引き継ぎ、行幸費用の捻出など、山積みの決裁を一手に引き受けその対応に追われた。

瞬く間にふた月が過ぎた。

その間一人何か胸に秘めた様子で泰然自若とするイヴリニエルを余所に、ドレスを新調するやら、祝いの品を選ぶやら、嫁を相手に年頃の娘の様にはしゃぐ母を横目に見ながらイムラヒルは、母と双子の姉の間を極自然に卒なく取り持つ妻に舌を巻いていた。

 

結局大公一家がミナス・ティリスを目指してドル・アムロスを発ったのは12月に入ってからになった。

イヴリニエルは父母等と共に屋形馬車に乗る事に難色を示したが、その時イムラヒルの妻が「私がご一緒しますと馬車が一杯になってしまいますわね」と笑い、「あら、そういえばイヴリニエル様は大層ご乗馬がお上手でいらっしゃいませんでしたかしら?」と言った一言でイムラヒルの隣に馬を並べる事になった。

「あの嫁はあんたには勿体ないわね」

滅多に人を褒めないイヴリニエルの言葉に、自分は実に好い妻を得たものだとしみじみ感じ入ったイムラヒルは、この妻との間であれば一人二人と言わず、三人四人の子宝に恵まれるだろうと明るい予感が胸を過るのを感じたのだった。

のんびりした穏やかな旅の行程に業を煮やしたイヴリニエルは、道々

「屋形馬車みたなお荷物を曳いてるから足がのろいのよ」

と口を尖らせたが、その横顔を見るイムラヒルは存外楽しいその旅に、冬空の下で頬を緩ませるのだった。

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