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宿業 8

 

4年程の間、ファラミアは兄であるボロミアとの距離を測りじわじわとその間合いを詰めていった。

しかし4年も経つ頃になると改革派の文官達も力をつけ、地位も上がった。

威勢を削がれた西方派の重臣達との力関係は逆転し、無益な議事にボロミアを召喚する事もなくなった。

寧ろ文官等が武官の側からの意見を必要とする際には、より直接的にファラミアに対して議会の出席要請がなされる様になっていた。

年々東からの影が伸び、半ば日常的とも言える程頻繁に戦場に赴く様になっていたボロミアから、無意な負担が軽減される事自体はファラミアとしても喜ばしい事ではあったが、これに依りファラミア自身は、想定外の厄介な課題を抱え込む事となった。

ヘンネス・アンヌーンとミナス・ティリスを度々往復する忙しなさだけが増し、ボロミアと顔を合わせられる機会が激減したからである。

時をかけ周到にボロミアとの距離を詰めてきたファラミアにとって、これは中々に悠揚ならざる事態だった。

この状態が続けば、漸く変容の兆しが見え始めていたボロミアとの関係が畢竟膠着してしまう蓋然性は高くなる。

悪くすれば元の木阿弥だ。

 

さて如何したものか、と新たな展開を模索し頭を悩ませていたファラミアの元に、ニンダルヴに於いて、秘密裏に敵の補給物資が備蓄されている疑いあり、との報が届いたのはボロミアが白の塔の総大将になって4年を更に半年程過ぎた頃であった。

 

戦に於ける補給物資の重要性をよく知るファラミアは、この報を見過ごす訳にはいかなかった。

戦場で最も恐ろしいのは補給線が前線から伸びきり物資の供給が途絶される事である。

糧食は勿論、武具、薬材が底をつけばそれは即兵の命に関わる。

弓兵などにとっては消耗品である矢の補充は生命線だ。

当たろうが外れようが、射れば矢は無くなる。

奇術の様に次から次へと湧いて出るものではないのだ。

矢が底をついたからと言って射損じた矢を敵陣に拾いに行く訳にはいかぬのである。

しかしそれは敵も同様だ。

敵が補給線の中継点として執拗にカイア・アンドロス奪取を図り、ゴンドール軍がそれを阻止する…カイア・アンドロスでの攻防戦が絶えない所以である。

そのカイア・アンドロスに耳目が集まる隙を付いて、ニンダルヴに補給物資を備蓄しておく、というのは考えられない事ではない。

敵がカイア・アンドロスを補給線の中継基地として必要とするのは、敵がモランノンから北イシリエンを経由してミナス・ティリスに南下する進軍経路を取る場合である。

その経路で進軍するのであれば、ニンダルヴはカイア・アンドロスに中継基地を置くのと大差ない。

敵を大いに利する可能性が否めないその報の真偽は、何としてでも確かめておかねばならない。

 

丁度その折、件のカイア・アンドロスでボロミアが敵と交戦中であり、勝敗はゴンドール軍の圧勝でほぼ決しているとの情報を得たファラミアは、カイア・アンドロスのボロミアに宛て、敵を殲滅せず一部を泳がせ、ニンダルヴへ追い込んで欲しい旨書簡にしたため、敵の目に触れぬ様ボロミアへと密使を送った。

ヘンネス・アンヌーンとカイア・アンドロスの距離を考えれば、何程遅くともファラミアの書簡はその日の内にはボロミアの手に渡るはずである。

ヘンネス・アンヌーンからニンダルヴへは1日の行程であり、率いる兵の人選と準備を含めても、明後日にはファラミアの手勢はニンダルヴに到着出来るであろう。

ボロミアの指示を受けた討手の兵が上手く追い込んでくれればニンダルヴで敵を挟撃し、敗残兵を一網打尽で捕虜に出来る、とファラミアは踏んだのである。

 

ニンダルヴは広大な沼沢地である。

秘密裏に備蓄してあるという補給物資がその広大な沼地の那辺にあるかを、虱潰しに探し回るのでは埓が明かない。

だがニンダルヴのその場で敵の捕虜を確保し尋問する事が出来れば、その捕虜が如何にしらを切ろうが、ファラミアには捕虜の目の僅かな動きや言葉尻の微かな抑揚からでも補給物資の秘匿場所を特定出来る自信があるのである。

 

ファラミアがニンダルヴに到着したのはカイア・アンドロスに書簡を送った2日後の正午前であった。

葦の茂みに部下を配して程なくすると、討手に追われたオークの一団がカイア・アンドロスの方角から姿を現した。

すかさず葦の茂みから討って出たファラミアの手勢とカイア・アンドロスの追手の間で、オーク達は恐慌をきたした。

決着は一瞬だった。

午後の早い時刻には大方のオークは捕縛され、ニンダルヴの湿地帯を避けた草地に宿営地を敷く準備が始まっていた。

 

補給物資の秘匿場所を質す為、捕えたオーク達を入れた仮設の木囲いに向かって歩きながら、ファラミアは

「何も兄上自ら討手を率いておいでにならずとも…」

と幾分困惑気味に隣を歩くボロミアにそう言った。

それはファラミアの本心からの言葉だった。

葦の茂みの間から、西方の血になる遠く視る目で討手を指揮するボロミアの姿を認めた時、ファラミアは心底驚いた。

ボロミアに会いたいと望む気持ちは、常にファラミアの内に内在する想いではあったが、今のボロミアはファラミアの“兄”である前に、まず第1に白の塔の総大将なのである。

少数部隊である敗残兵の討手を、その白の塔の総大将であるボロミア自ら率いるなど、本来有り得ない事なのだ。

それ故、流石のファラミアを以てしても、まさかボロミア自らが討手を率いて来るとは予測の外であった。

ボロミアの副官であるグウィンドールが指揮を執るのであればいざ知らず、である。

「グウィンドール殿に指揮をお任せになられるものとばかり思っておりましたのに」

そう言うファラミアにのんびりした口調で

「まあ、グウィンドールも自分が行くとは申したのだが…。

 今回に関しては本体の指揮を任せて都に帰した」

ボロミアはそう答えた。

“なぜ”と問う言葉は口の端に上る前にファラミアの思議に取って代わられた。

 

グウィンドールの長男は今年で14、近衛への入隊が決まっている。

入隊すれば訓練期間の間は兵舎に寄宿し、1年は家にも帰れぬ。

入隊前に少しでも長く息子と過ごさせてやろう、とボロミアは考えたのだろう。

この様な配慮は何もグウィンドールに対してだけの事ではない。

何程下級の一兵卒に対しても、ボロミアは凡そ分け隔てというものをしない。

一訓練兵に対してさえ気軽に声を掛け、惜しみない笑顔を振りまく。

心底国を愛し、兵を愛し、民を愛するボロミアの心には一片の曇りもないのだ。

計算されたものでは有り得ない、国の行末を案じ民を思い遣るボロミアの真の心があってこそ、ゴンドールの兵と民は熱狂的にボロミアを指示する。

“そこがボロミアと私の決定的な違いだ”

そう思うとファラミアは苦笑を禁じ得ないのだが、だからこそまた、ファラミアもその何一つ隠し様のない、真っ直ぐに澄んだ心根を持つボロミアの人となりを愛するのだ。

 

そんな想いに囚われながらボロミアの隣を歩いていたファラミアは、しかしボロミアの思い設けぬ続く言葉に、思わず息を飲んで足を止めた。

 

「それにそなたの顔も見たかったのだ」

 

目の眩む様なその言葉。

 

「このところ暫くそなたの顔を見ておらなんだからな。

 討手に出ればそなたに会えよう」

ファラミアは立ち竦んだまま動けなかった。

 

その時、隣を歩いていたはずのファラミアの姿がない事に気付いたボロミアが立ち止まって振り返った。

「どうした?ファラミア」

一瞬で魂を奪われる笑顔。

 

ファラミアは幼い子供の様に、ただ黙って首を振ると、開いてしまった僅かな距離を“兄”に向かって駆け寄った。

「何でもありません。

 ただ…嬉しくて」

10の少年の様にはにかんで言うファラミアを、やはり10の少年にする様に、その柔らかな白金の髪をくしゃくしゃっと撫でたボロミアが、既に自分より目線の高い弟を温かくその腕に抱き締めた。

「大丈夫だ、ファラミア。

 例え離れていても、私はいつでもそなたと共にある。

 兄はいつでも側にいる」

幼い頃より、何百回、何千回と繰り返されてきた言葉。

“兄”の温かな腕の中で、その目眩がする程の圧倒的な幸福と、そして同等の哀しみを、ファラミアは同時に胸の内で噛み締めていた。

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