がんばれ!ファラミア
~執政家に首ったけ~
未明(後編) 4
決心がつかぬまま、イムラヒルはそれから更に日を延べた。
その間、ボロミアは初陣のオスギリアスで防衛戦に参加し勝利して、続くカイア・アンドロスの攻防戦では同盟国ローハンの継嗣セオドレドと共にその勝利の為に剣を振るった。
ドル・アムロスにももちろんその知らせは届いていた。
このまま戦勝が続けば、ボロミアの立場は盤石となるだろう。
それがまたイムラヒルの迷いを深くした。
カイア・アンドロスでの勝利は、ボロミアから届けられたファラミアへの手紙でも伝えられ、ファラミアは常に変わらぬ熱心さで、その手紙も繰り返し読み返した。
しかし、その面に影が差すのは、深手ならずとも浅からぬ傷を負った為、次の戦に備え、また暫くドル・アムロスを訪れる事が難しい事を詫びる手紙の内容故であった。
会えぬ兄の、更にその怪我の状態までも心配するファラミアの表情が、日に日に塞ぎがちになる事に、この頃のイムラヒルは気付く余裕を失っていた。
丁度その頃ドル・アムロスでは、公子の妻が3人目の子を懐妊し、かの敵の影深き東の地での戦闘の日々から遠く、穏やかな幸福に湧き立っていたのだった。
そして、傷の癒えたボロミアも、丁度その頃3度目の戦場に赴いていた。
急襲を受けた同盟国ローハンの援軍として遠征した馬鍬砦で辛くも勝利したものの、3日間の激戦で思いの外深手を受けたボロミアは、セオドレドに助けられてミナス・ティリスに帰り着いたその日から2日間、怪我による高熱にうなされた。
ボロミアが再び戦場に立てるまでに回復するには1か月を要し、実際に戦場に立つには、それから更に1か月以上を要した。
ドル・アムロスにボロミア負傷の知らせが届き、兄からの便りが途絶えたひと月の間ファラミアは目に見えて憔悴し、更にそれより数日程が過ぎ、さすがに周りの者がファラミアのその尋常ならざる様子に気付いた頃、ようやく届いたボロミアからの手紙を、ファラミアは縋り付く様に手に取り、食い入る様にその文面を目で追った。
蒼白な顔で居室に下がったファラミアは、その夜夕餉の卓に現れなかった。
所用でドル・アムロスの居城を離れていたイムラヒルは、戻ってファラミアのその様子を聞くや急ぎファラミアの居室に向かったが、イムラヒルが部屋に入ると、ファラミアは灯りも点されていない部屋の中で、寝台に突っ伏して大粒の涙をぽろぽろと零していた。
イムラヒルが燭台に灯りを点し、ファラミアの傍に腰を下ろしても、ファラミアは顔を上げなかった。
もう、どれ程そうして泣いているのであろうかと思われるほど真っ赤に泣き腫らした目が痛々しかった。
「どうしたのだファラミア?
ボロミアから便りが届いたと聞いたが」
手紙を握り締めたファラミアの肩が震えた。
「見せてごらん」
差し出された叔父の手に、ファラミアは握り締めていた兄の手紙をそっと手渡した。
親愛なる我が弟へ
長い間そなたに会いに行けず、心からすまなく思う。
されど、そなたも聞き及びし事と思うが、過日我らが白き都に、かの敵の侵入せるを
許したる事、今も尚わが心に重き枷なりて我が心を暗く成さしめぬ。
殊に我が目前にて、我が身の盾となり、儚くなりたる者を想わば我が心尚一層暗く、
我ひとり安んじてそなたに会いに行く事未だ能わず。
我が愛する賢しらなる弟君にありては、どうかこの不甲斐無き兄を許し、今しばらく
南の地にて、いずれ再び相見える時を待ち、この兄の参るまでの間、健やかに過ごして
いてはくれまいか。
例え体は遠く離れていようとも、兄の心はそなたと共にある事を、どうか忘れずにいて
欲しい。
「私は…兄上の御傍にいとうございます…」
ファラミアの絞り出す様な擦れた声がイムラヒルの耳を打った。
「ファラミア…」
「例えこのファラミアで何一つ兄上のお役にたつ事がなくとも、それでも私は兄上の御傍にいとうございます」
そしてまた再びファラミアの瞳から涙が溢れた。
イムラヒルはそのファラミアを強く抱きしめ、何度も優しくその髪を撫でた。
「分かった、ファラミア
もう泣くでない、泣くでないぞ
ファラミア」
泣き疲れたファラミを寝台に寝かしつけた後、イムラヒルは執務室に灯を点し、ミナス・ティリスのデネソールに宛て、ファラミア帰城の許可を得る為の書状をしたためた。
翌日早馬に託した書状に対する返信は早かった。
その月の終わりには旅支度を整え、翌月早々には凡そ半年ぶりでファラミアはイムラヒルと共にミナス・ティリスへと向かった。
ただし、継承式に臨んだ時と違い、それはファラミアのミナス・ティリスへの帰城のみを目的とする旅である為、供回りの者も少なく静かな旅となった。
その旅の2日目、野営地で夜半目を覚ましたイムラヒルは、隣で眠っているはずのファラミアの姿がない事に気付き、辺りを見回した。
火の側に座り、一心に東の方を見つめていたファラミアは、ふわりと肩に掛けられた温もりに、その顔を上げた。
「眠れぬのか?」
自身も毛布を体に巻きつけたイムラヒルが、ファラミアの隣に静かに腰を下ろした。
それには答えず、ファラミアは再び東の方に目を遣った。
「兄上は…4年間、この道のりを幾度も通って来て下さっていたのですね。
供回りも僅かに…」
全てに於いて兄・ボロミアより幾分色素の薄いファラミアの髪が、月の光に照らされて夜目に白く、朧に煌めいていた。
淡い夜の光の中で、いっそ白銀色とも見える柔らかく波打つ髪は、兄・ボロミアの、日の陽射しの中でさらさらと風に光の粒を散らす黄金色の髪と対照的だ。
ボロミアが日の光だとすれば、ファラミアは月の光だ。
“伝承に言う、決して触れる事の出来ぬ太陽の乙女アリエンの背を追い求める月の狩人ティリオンの様に、ファラミアもまた、ボロミアを追い求め続けるのだろうか…”
ふとそんな思いに捕らわれ、イムラヒルは自らのその思いに胸の内だけで苦笑した。
“埒も無い”
そしてイムラヒルは傍らのファラミアの肩を抱くと、ファラミアと共に、まだ暁遠い東の空を静かに眺めた。
ファラミア達がミナス・ティリスに着いたのは、その月の半ば頃、空が茜色に染まる時刻であった。
一行が白き都の大門を潜った時、丁度入れ違いでヘンネス・アンヌーンの野伏達が出て行くところであったが、彼らは皆一様に険しい表情で、ファラミア達には目もくれず飛ぶように馬を駆って去って行った。
都を第6層まで上がると、一行は数人の近衛兵に迎えられ馬を預けた。
旅装を解くべく用意された宿舎の一室には沐浴の準備が整えられており、一行は半月近くの旅の汚れを落とし、疲れを癒した。
夕餉の頃にはすっかり日が落ち夜の帳が降りていたが、デネソールはおろか、ボロミアさえ夕餉の卓に姿を見せなかった。
ファラミアの顔にに不安の影が落ちかけた時、デネソールの侍従の一人が現れた。
デネソールの言伝である事を前置して侍従は言った。
「本日火急の用向きにより目通り敵わず。
明朝改めて場を設ける故、今宵はもう休まれる様にとの事で御座います」
仔細を問い質そうとしたイムラヒルにその間を与えず侍従は退いた。
ファラミアは不安な面持ちのまま、出された食事にほとんど手を付けなかった。
イムラヒルは翌朝まだ夜の明けぬ闇の中、城下に響く馬の蹄の音で目を覚ました。
起き上り窓外を見ると、1個中隊程の騎兵が大門に向かって城下を駆け下って行くところであった。
予測していた事とはいえ、ファラミアの落胆を思うと、イムラヒルの表情は自然暗くならざるを得なかった。