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「フーリン家」のこと

後にゴンドールの初代執政となるエミン・アルネンのフーリンは、幼少の頃その透ける様に白い肌の色から“フェア・メイル・フーリン”と呼ばれていたという。

しかしこの“フェア・メイル・フーリン”の愛称は中つ国第3紀2940年の今日よく知られている“美男フーリン”の意ではなく、当時は“色白の男の子フーリン”程の意味であったと言われており、またフーリン本人はこの愛称を好んでいなかったと記録されている。

それ故かフーリン自身は後に彼を自らの執政に任ずる事となるミナルディル王が王位継承権第3位の公子であった頃彼に与えた通り名ファエラドールを終生好んで名乗ったという。

その為当時の王都オスギリアスに於いてフーリンの名は、寧ろファエラドールとして知られていた様なのだが、にもかかわらず今日このゴンドールに於いてファエラドールの通り名は人々の記憶から失われており、それに反し執政家がフーリン家と呼ばれる事でフーリンの名は執政家の家名として今もゴンドールに名高い。

その一因として考えられているのは“フェア・メイル・フーリン”の愛称である。

先に触れた様に、当初“色白の男の子フーリン”程の意であった“フェア・メイル・フーリン”は、当のフーリンが長じるにつれ、今日よく知られている“美男フーリン”にその意を転じた。

稀に見る絶世の美男というその評判は王都の内に留まらず、王都の外、果てはゴンドール国外にまで及んだと言う。

噂に高い“フェア・メイル・フーリン”を一目見ようとする者が引きも切らず王都を訪れたとの逸話さえ残されているが、今に残る記録に依れば実際には商用、外交、稀に観光でオスギリアスを訪れた国内外の者等の間で、ファエラドールと呼ばれる麗人が噂に高い“フェア・メイル・フーリン”であると伝聞された為、フーリンの名がファエラドールの家名と取り違えられたまま郷里で喧伝されたというのが実相の様であり、この過った認識はその後フーリンの直系であるサエルカムが3代目の執政に任じられた事で、ゴンドールの国内外にフーリンの名を家名として定着させる結果につながったと考えられている。

サエルカムはミナルディル王の3代後の後継となるテルメフタール王に熱望されて執政となった人物であるが、男子を儲けなかったフーリン・ファエラドールの次女の長男である為フーリンの直系である事が記録されている。

フーリンの後タロンドール王の執政となったレンディオンはフーリンの姉の子であったが、タロンドール王の後を継いだテルメフタール王はミナルディル王を深く敬愛し、改革王と呼ばれたミナルディル王を標榜した人物であった事もあり、37歳年長であるレンディオンの嫡男ではなく、敬愛するミナルディル王の執政であったフーリンの直系でもある22歳年長のサエルカムを敬慕しており、まだ15歳という幼少の砌、いずれサエルカムを自らの執政に任ずると父王の前で宣したという伝説を持っている。

15歳といえば今日中つ国の中で西方の血を受けぬ者の年齢に換算して6歳ほどであり、22歳年長だというサエルカムも当時15歳程度と換算される事からこの逸話は伝説の域を出ないが、それはともかくも、サエルカムの名を世に高めたのは、頭脳明晰にして沈着冷静な策士である事以上に“フーリンの再来”と謂われた彼の美貌であり、その美貌は祖父譲りの肌の白さから“フェア・メイル・オブ・フーリン”と呼ばれたというのである。

これに因りフーリンの名は家名として定着し、またこの後エアルヌア王が執政の任を王家同様の世襲制とする王命を下すまでの間、実質としては各代の王が代々フーリンの直系を自らの執政に任じ、その執政の悉くが白皙の持ち主であった事で、執政家がまたフーリン家とも呼ばれるに至っているというのが今日のゴンドールに於ける定説である。

 

補足説明

今回は執政家がフーリン家と呼ばれる所以を当二次創作的に補完した内容になっています。が、なぜ書き手がその“所以”を考えたかと言いますと、きっかけは“執政家は親子共々美形である”というところにあります。

これは当二次創作がビジュアルイメージのベースにしている「LOTR」は勿論、原作にも執政家親子は“気品ある”とか“美しい”など、美形である事が読み取れる表記がいくつもあるので、執政家が美形の親子であった事は公式認定とみなしてよいかと思います。

そうなると腐った書き手としてとは“親子共々美形という事は、執政家は美形の家系という設定が成り立つ”と考えてしまう訳です(笑)

で、家系の初代に遡ると、執政家の家名の基になったのはミナルディル王の執政になったフーリン。

なので、そのフーリンは伝説的な美形だったという設定から“執政家=フーリン家=美形の家系”を補完出来るのではないか?というのが今回の設定メモを書いた原点になっています。

ただ、そもそも“フーリン”は名前か苗字(家名)か?とか、その他もろもろ、延々考えて書き散らかした補足説明が、今回UPしたメモの後ろに山積みになってはいるのですが、それを書き始めるときりがなくなっていしまうので、今回は逸話本編に出てきた“フェア・メイル・フーリン”と“フェア・メイル・オブ・フーリン”という愛称に関するところだけに絞って少し書かせて頂きたいと思います。

書き手は基本的に西洋史が全くダメな人です。

歴史は好きですが、好きなのは日本史で、それも主に幕末です。

なので戦国武将とか西洋の騎士とか英雄とか、ほとんど分かっていません。

ただそんな中で、中世英国の薔薇戦争の頃(1400~1500年頃)だけが西洋史の中でピンポイントに好きで、その辺りの歴史だけ西洋史の中で拾い読みしています。

ただ、あくまでも拾い読みなので、薔薇戦争の頃の伝説的な逸話ばかりに偏った引き出しがあり、“フェア・メイル・フーリン”はその偏った記憶のひとつをアレンジして作り出した書き手の完全な“なんちゃって造語”です。

ベースになったのはガーター騎士団の名前の由来となった絶世の美女、ケント伯の娘ジョアンの愛称“フェア・メイド・オブ・ケント”。

fair maid of kent = ケントの美女

というような訳になるかと思いますが、fair maid=美女 のfair と maid は単語にバラすと“色白”と“女の子”になる訳なので、じゃあ同じ様な意味で同じ様な語感の英訳を作れないか…というところから、まずはサエルカムの代まで遡って“fair male of Hurin”というなんちゃって英訳(あくまでも英語の試験28点の人間が考える英訳なので…(^^ゞ)愛称をつけ、更にそこから遡ってフーリン自身の愛称”fair male Hurin“を考え出した…という訳です。

ただ、これに限らずですが、書き手の場合、この様な理屈付けを考えていると、途中に“なぜ?なぜ?”が次々に出てきてしまい、それを補完する為の逸話がそこからまた派生し、逸話や設定メモがどんどん拡大再生産されて、いつまでたっても終わらない底無しの泥沼蟻地獄にハマってしまう…というのが今日この頃の現状です(T_T)

いい加減妥協して本編に戻らねば…とは思うのですが…。

本編をお待ちいただいている方には本当に申し訳ないのですが、必ず本編には戻りますので、出来れば今しばらく我慢してお付き合いいただければ、書き手、泣いて喜びます。

ですので、どうぞ何卒、よろしくお付き合いお願い致しますm(_ _)m

 

 

 

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