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名にし負う、王と呼ばるる 4  -奇跡-

 

 

南の海を思わせる

温かな翡翠色の瞳を持つ花嫁は

孤高の頂に座す新郎を見詰め

薔薇の花びらが綻ぶように微笑んだ

 

“最も近しい親族にも似る”

そう謂われた男は

新郎を見上げる婚儀の場に在り

自らには決して起こり得ぬ

その奇跡に目を伏せた

 

中つ国 第3紀 2976年 春

 

ゴンドールの執政エクセリオン2世の嫡男であるデネソールが、ドル・アムロス公国の公女フィンドゥイラスを妻に娶る、と父の前で宣言した時、当の父であるエクセリオンは勿論、居並ぶ重臣達は皆一様に驚愕した。

唯一人、ゴンドールの客将ソロンギルを除いては。

 

 

デネソールは伽を取らない。

ソロンギルがそれを知ったのは、ゴンドールの客将となって間もない頃の事だった。

魔法使いの反対を押し切ってローハンからゴンドールに籍を移した事を怪しんだ北方の“声”が、イシリエンの野伏を通じてその“声”をソロンギルに届けた時だ。

それはソロンギルが呼び出しを受け、深夜人目を忍んで第1階層の古旅籠で野伏と落ち合った後、重い気持ちを引き摺って第7階層に戻り、賓館の中に与えられた居室に向かう途中だった。

 

名のある家の公子が寝所に伽を上げるのは、民が娼館に通うのとは意味が違う。

公子のそれはある種の義務でもある。

公の義務である以上、彼らが私邸の寝所に伽を上げる事はない。

賓館の定められた部屋にその場が設えられるのである。

そしてソロンギルには同じその賓館に一室が与えられている。

与えられたその居室への途上、ソロンギルは途方に暮れる一人の女官に出くわした。

不審に思って声を掛けたソロンギルに、自分はデネソールの伽だと、その女官は言った。

しかしデネソールは彼女が寝所に入った途端、伽は要らぬと部屋を出たのだと言う。

朝まで部屋は好きに使って良いと言うデネソールに、それは困ると彼を追って部屋を出た彼女に嫡男は“自分は他言せぬ故、そなたが困る事はない”と、取り付く島もなく去ったのだと言う。

ソロンギルはそれを聞き唖然とした。

見ればなかなかに美しい年若い女官だ。

所謂“据え膳”である。

“あの男、『食わぬは恥』という言葉を知らぬのか?”

そう内心小首を傾げながらも、ソロンギルは巧みに女官を丸め込み、嫡男に成り代わって彼の言葉通り“朝まで”“好きに”、用意されたその部屋を“使い”倒してその女官をすっかり骨抜きにしたのである。

その後もソロンギルはデネソールの“代役”として、嫡男の伽に上がる女官達を次から次へと“頂いた”。

そしてソロンギルが知ったのは、嫡男が嘗て一度たりとして自ら伽を取った事は無く、定められた伽とすら褥を共にした事が無いのだという事だった。

有り得ぬ事である。

それでなくともデネソールは重臣達から持ち上がる婚姻話を悉く撥ねつけている。

嫡男の気質・言動から見て、彼が男色家であるとは考え難い。

だがこのままでは執政家の後継が絶えてしまおうと言うものである。

“何を考えているのだ、あの嫡男は?”

ソロンギルは胸中でそう首を捻る。

ソロンギルの知る限り、それまで花嫁候補として名の挙がった姫達は、揃いも揃って美女揃いだ。

その中にはゴンドール屈指の美女との呼び声も高いドル・アムロスの公女フィンドゥイラスの名もあった。

しかしデネソールは“ドル・アムロスの黄金の真珠”と呼ばれるその公女にすら関心を示さなかった。

但し彼女の名が花嫁候補から消えたのは、嫡男が関心を示さなかったからではない。

彼女の父である公国の大公アドラヒルが、娘は嫁に出さぬ、と常々公言していた為である。

 

幼少の頃より酷く病弱であったフィンドゥイラスは、二十歳までは生きられぬであろうと医師から宣告された身であった。

それを聞き娘の身の上を悲しんだ大公夫妻は、彼女が極幼い頃に“娘は病身故他家に嫁さず”と宣言し、王宮の奥深く、秘めた宝の様に彼女を扱った。

しかし医師の言葉に反し、公女の命は区切られた時を超えて繋がった。

すると公女の噂を聞き付けて、大公の宣言を物ともせず求婚する者等も現れる様になった。

その求婚者達の大半は大公に退けられたのだが、公女に目通りの叶わなかった者の中には“所詮名のみの姫よ”と吹聴する者もあり、“ドル・アムロスの真珠は紛い物也”との噂も立った。

それでも大公は頑として娘を嫁がせようとはしなかった。

そしてその真の訳が、病弱なフィンドゥイラスを慮るだけでない事は後に知られるところとなる。

 

西方の血に加え、エルフの血統をも継ぐ家系に生を受けながら、西方の恩寵に与らぬ娘。

大公が娘を嫁がせなかった真の訳がそこにある。

恩寵を受けぬ身の娘を不憫と考えた大公は、いずれ短い命ならば、娘の不名誉を世に知らしめるまいと、その事実が公国の外に漏れぬ様、ひた隠しにしようとしたのだった。

だが真実とはどこまでも隠し遂せるものではない。

フィンドゥイラスが西方の恩寵に与らぬ身である事は徐々に公国の外でも囁かれる様になった。

その噂が白き都にまで届いたのは、丁度デネソールの婚姻話が暗礁に乗り上げていた頃だった。

 

ゴンドールで最も古い家門のひとつから妻を娶るという話が立ち消えとなり、“いかがしたものか”と評議会の参議達が頭を抱えていたところにその噂が届いたのだ。

とは言え“ドル・アムロスの黄金の真珠”は、既に嫡男の花嫁候補から消えた名であり、その噂は参議達の眉を顰めさせこそすれ、決して喜ばせはしなかった。

だがデネソールだけは違った。

噂を耳にして以来、考え深げな様子で物思いに耽る嫡男の姿が度々見受けられる様になった。

 

果たしてひと月程の後、嫡男はドル・アムロスに出向きたい旨を、父エクセリオンに告げたのだった。

エクセリオンは息子の言葉に当惑したものの、結局はそのドル・アムロス行きを承諾した。

それというのも、丁度ひと月程前、花嫁候補として名の挙がったまま話が立ち消えとなった姫が、これまで女性に関心を示さなかった息子にしては珍しく、優しい目をして接した控え目な娘だったからである。

漸く息子の婚姻話が落ち着くかと期待をかけていただけに、エクセリオンはその姫の思慮深く美しい、黒曜石の様な瞳を思い出すと胸が痛んだ。

婚姻話が立ち消えとなった訳は、姫自身の資質に拠るものではない。

彼女がローハンから里子に出された姫である事が問題となったのである。

数十代遡ればゴンドール王家の縁戚にも繋がる血筋であり、極幼い頃ゴンドールに里子に出されたその姫は、既に20余年をゴンドールで過ごしているのだが、如何せん、あくまでもローハンからの里子の身とあっては、重臣達の反対は避けられなかった。

普段全く物に動じない息子ではあるが、彼女の里親である地質学の学匠が自らの師でもあるだけに、流石の息子も幾らは気鬱になっているやもしれぬ、とエクセリオンは思った。

南の海を望む風光明媚なドル・アムロスで、僅かなりとも気晴らし出来るものなら、それも良かろう、とエクセリオンは考えたのだった。

その時のエクセリオンには、息子がドル・アムロスの公女を妻に娶ると言い出すなど、夢にも思い描けるものではなかったのである。

 

然るに、ドル・アムロスから戻ったデネソールは、父と重臣達の前で、ドル・アムロスの公女フィンドゥイラスを妻に娶ると宣言した。

 

ソロンギルは驚かなかった。

唯“何とも勇敢な姫君があったものだ”と思っただけだった。

 

ゴンドールに厳然と存在する格差。

それは“超常の力に恵まれた西方人”と“西方の力に恵まれぬただ人”という、その違いが全ての起点になっている。

西方の血を恩寵と呼び、その力を持つ側に立つ者には、その力を持たぬ者の痛みや苦しみを理解する事は決して出来ない。

それはデネソールとて同様である。

同時に“持たざる者”には、その力を持つが故の苦しみを理解出来ない。

デネソールはそれもまた解している。

“力持つ者”の側に立つ故“持たざる者”の心の内を真には理解出来ぬ事。

“持たざる者”の側に立つ民に“力持つ者”の側に立つ自分が決して理解はされぬ事。

誰よりも祖国と民を愛するデネソールだからこそ、埋まらぬその溝を、誰よりも深く、彼はその胸の内で解している。

“最も近しい親族にも似る”

そう謂われたソロンギルは、客将という立場に身を置き“西方の血”に覆いを被せる事で民の声望を得ている。

それ故にこそ、ソロンギルはデネソールの痛みが手に取る様によく分かる。

嫡男には“西方の血の軛”を、民の目から逸らす術はないのだ。

“まぁ、出来たとしてもやらぬだろうがな、あの男は”

ソロンギルは内心そう苦笑する。

“西方の血の継ぐ家系に生まれながら超常の力を持たぬ”

ドル・アムロスの公女のその“不名誉な噂”がミナス・ティリスに届いた時から、ソロンギルにはデネソールが取るであろう行動が容易に想像出来た。

何故ならそれこそが嫡男が妻となる姫に求める最も稀有な資質だからだ。

ドル・アムロスの公女が噂に違わぬまさしくその通りの姫であれば、例え姫が“ドル・アムロスの黄金の真珠”には程遠い醜女であろと、デネソールは全く問題にしないだろう。

但し。

良くて

“恩寵に恵まれぬが心優しい醜女”

悪ければ

“恩寵に恵まれぬ故心根の曲がった醜女”

万一

“恩寵に恵まれぬが心優しく美しい姫”

であったとしても、病弱だという噂が真なら、子が産めぬ程虚弱であるという可能性も捨て難い。

第一デネソールが妻にと望んだとて、受け入れるかどうかは当の姫君次第なのである。

それでもデネソールがその姫を妻にと望み、姫がそれを受け入れるという事はあるだろう。

その姫に人を見る目がありさえすれば。

但しそれと婚姻は問題が別である。

ドル・アムロスの大公は娘を嫁に出さぬと宣言しているのだ。

“婚姻とは…”

と、ソロンギルは苦い思いを噛み締めた。

“愛のみに拠ってなるものなどではないのだから”

 

絶句する父と騒めく重臣達の前で、微動だにせずすっくと立つデネソールを見てソロンギルは思った。

“さてどうする嫡男殿?これからが難儀だぞ”

 

しかしデネソールはソロンギルの思惑を余所に、実直に粘り強く父エクセリオンを説得した。

重臣達の間も説いて回った。

その頃には下級の文官等を中心に、デネソールを熱狂的に支持する改革勢力が出来つつあり、彼等の力も議会承認の一助となった。

民からも声が上がった。

執政家の嫡男が是非にもと妻に望む姫が、自分達と同様に西方の恩寵に恵まれぬただ人だと知った彼等の、その婚姻を望む声は重臣達が無視出来ぬ程に大きかった。

白き都の民等の間でまだ見ぬドル・アムロスの公女は、思いがけぬ程執政家の嫡男を後押しする力となった。

その熱気に、エクセリオンも重臣達も、押されて折れた。

 

ふた月後、白き都にやって来た“ただ人”である執政家の花嫁に、都の民は熱狂した。

都の大門から第7階層に続く沿道を埋め尽くした人々に、輿の御簾を上げて惜しみない笑顔で応えたフィンドゥイラスを目の当たりにしたミナス・ティリスの人々は、誰もが“ドル・アムロスの黄金の真珠”の呼び声に違わぬその美しさに目を瞠った。

白き都の民等は瞬く間に彼女を愛し、魅了された。

 

婚儀はそれを望む民等の声に押され、盛大に執り行われた。

ソロンギルはその婚儀の場に在って壇上の新郎新婦を見上げ、苦い敗北感を噛み締めていた。

不器用な執政家の嫡男と違い、自分は全て承知の上で上手く立ち回って来た。

嫡男以上に執政の信頼を得、重臣達との関係も絶妙な均衡を保って漁夫の利を得ている。

嫡男の伽を頂戴している事は秘事となっている為、民の間では高潔で徳高き智将としての声望も得ている。

それにも係わらずソロンギルは、立ち回りの下手な、無口で不愛想で不器用なその嫡男に敗北感を感じた。

羨ましい、と思った。

壇上の花嫁が南の海を思わせる温かい翡翠色の瞳で嫡男を見詰める姿を見遣ったソロンギルは、自分には決して起こり得ぬ、その奇跡に、人知れずそっと、目を伏せた。

 

 

 

-了-

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