がんばれ!ファラミア
~執政家に首ったけ~
血脈 5
夕べの空が色を変える頃、デネソールは執政家の陵墓から下り、その裾野に築かれた小さな塚の前に立った。
“そなたの事ゆえ予の事をさぞ頼りない男と嗤うておろうな”
「予はそなたとの誓いを果たせなんだ。
許せ、大鷹の姫」
塚の周りで薄青の花弁が微かに風に揺れた。
宴席が設けられた翌日、王の間にデネソールを迎えたドル・アムロス大公家は張り詰めた緊張感で、皆一様に表情を固くしていた。
フィンドゥイラスへの求婚の意は、前夜例に倣いデネソールの従者によってアドラヒルに告げられていた。
しかしアドラヒルにその許しを与える気持ちは毛頭なく、娘も当然諾とは言わぬものと露程も疑わぬ大公は、しきたりに則り姫の許しを得よと答えて従者を返した。
当然アドラヒルはこの場に於いても数多あった求婚者同様デネソールを退けられるものと思っていた。
しかしそれにも関わらず、アドラヒルは胸の内に言い知れぬ不安が募るのを止められなかった。
相変わらず装飾の無い式服で王の間に現れたデネソールは、服装が簡素なだけに却ってその丈高き美貌が際立っていたが、表情は相変わらずむっつりと無愛想で、厳しい光を湛えた瞳からは感情は読み取れなかった。
読み取れぬ表情のままデネソールはアドラヒルにフィンドゥイラスを娶りたいとの意を例に則り極淡々と伝えた。
アドラヒルもまた例に則り娘の許可を得よと答え、執政の嫡男は公女に向き直った。
公女は諾とは答えず、それで全てが終わるはずであった。
しかしその時まで、大公家の者は誰ひとりとして気付いていなかった。
ドル・アムロスの黄金の真珠、麗しのフィンドゥイラスが薔薇色の頬に美しい翠の瞳を輝かせ、その胸に柔らかな生成りの肩掛けを抱き締めていた事に。
フィンドゥイラスの前に進み出たデネソールに、この美しい公女は、その胸に抱いた生成りの肩掛けを差し出した。
その時この感情の読めぬ嫡男の面に、初めて影が過ぎり、その表情が微かに曇った。
だが強ばっていたアドラヒルの表情に安堵が浮かんだ次の瞬間、大公の一家は信じ難い光景を目の当たりにする事となった。
「どうぞデネソール様お手ずから着せかけて下さいませ」
「姫」
「そしてお届け頂いた温かいお心と共に、私を白き都にお連れ下さい」
大公の一家が尽く呆然と息を飲む中、肩掛けを受け取ったデネソールはふわりとそれをフィンドゥイラスに着せかけ、その白き手を取り翡翠の瞳を見詰めた。
「共に白き都に」
「参ります」
フィンドゥイラスの薔薇色の頬の輝きに照らされたデネソールの美貌に、この嫡子に本来宿る慈しみ深い温かな笑みが象られた。
イヴリニエルはがくがくと膝が震え、全身の血の気が引いていくのを感じていた。
デネソールがしきたり通りフィンドゥイラスとの婚約を宣し王の間を辞した後、王の間に残された大公の一家は皆愕然とし、暫くは口をきく者もなかったが、漸くアドラヒル大公が玉座の肘掛を握り締める手をぶるぶると震わせて、呻く様に「なぜこの様な事に…」と呟くと、その言葉を耳にした大公の妻はわっと泣き出し、半狂乱になって「なんという事を!なんという事を!」と喚き散らした。
イムラヒルはと言えば、両親のその様な姿を目の当たりにして唯愕然とするばかりであった。
暫しの後、アドラヒルはよろよろと立ち上がりフィンドゥイラスの元に歩み寄ると「なぜ…なぜあの様な事を…」と公女の肩を掴んだ。
「ドル・アムロスの公女であるそなたがなぜ…」
フィンドゥイラスは真っ直ぐ父を見返すと静かな声で答えた。
「デネソール様をお慕い申し上げているからで御座います、お父様」
「フィンドゥイラス!」
その瞬間父の厚い掌が娘の白い頬を打ち、フィンドゥイラスの華奢な体は冷たい石の床に横様に倒れた。
「父上!」
イムラヒルは父に駆け寄り、それまで蝋の様な顔でただ呆然と突っ立っていたイヴリニエルはじりじりと後ずさると、王の間を飛び出した。
アドラヒルにとってこの婚姻はあってはならぬ事であった。
名ある家にあって婚姻とは恋情や愛情に依るものではない。
ましてや執政家の嫡男が相手とあっては事はただの婚姻ではない。
婚姻の第一義は家系を継ぐ事であり、血統を残す事である。
そして国家間の時局を鑑み、その均衡を保つ為のものである。
その中に於いても、執政家に嫁すとはつまり、西方の血を継ぐフーリン家の家系の男子を残すを以て望まれるという事を意味する。
娘の弱い体が子を産むに耐えぬとなれば勿論、男子が生まれぬとなっても、仮に男子が生まれたとてその男子がフィンドゥイラスの血を濃く継ぎ、西方の血の恩寵に恵まれなかったとしても、何れの場合も娘の身一つの事では済まされぬ。
その様な事態を予測される娘を執政家の嫡男に差し上げたドル・アムロスが、公国として王なき国を守る執政家への忠誠を疑われかねないのである。
フィンドゥイラスは石の床から身を起こして澄んだ目で父を見上げると
「それでもわたくしはデネソール様の元へ参ります」
迷いの無い声でそう言った。
イムラヒルはいたたまれない思いで、父・アドラヒル大公の蒼白な顔を見詰めた。
イヴリニエルがデネソールの逗留する客室の扉を開けようとした時その扉が内側に開き、駆込んだ勢いでそのままつんのめりそうになったイヴリニエルは、そこに立つデネソールの、扉の把手を握らぬ方の腕に抱き留められた。
イヴリニエルはきっと顔を上げ、抱き留めたデネソールの手を振り払うと、身を引いて真っ直ぐに立ち、執政の嫡男を睨み据えた。
「どうして…あなたなの」
デネソールは微動だにせず、イヴリニエルの青く燃える瞳を受け止めた。
「お姉さまのお手を取るのが…なぜあなたなの」
「宿命故、だ」
イヴリニエルは拳を握り締める。
「宿命?宿命って…どうしてあなたに言えるの?どうして宿命って分かるのよ!」
「予は姫を必要としておる。
一目見て、予の必要とする者が姫である事が知れた。
それが宿命だ」
デネソールは静かな迷いのない声で答えた。
「必要?必要としてるって言うならそれは…」
「そなたなら姫をこのドル・アムロスにお残しして姫に何を成さしめたいとお思いか」
「え…」
「予は東からの影深き我が白き都に姫の持つ光を必要としておる。
予が如何程我が民を愛そうとも、予は我が民を照らす光とはなれぬ。
しかし姫にはそれがお出来になる。
姫が我が白き都に参られれば、姫は東からの影に耐える我が民を照らす光となろう」
「あなたは…お姉様にその影に耐えよと?
民の光となる為白き都で…東からの影に…民と共に耐えよ…と?」
「然様、その為に予は姫を必要としておる」
「何という事を…あのお体のお弱いお姉様に…何という事を…」
「お体のお弱さはお心の弱さに通じておるわけではなかろう」
息を飲んだイヴリニエルに、デネソールは更に言い募った。
「そなたはこのドル・アムロスで、唯儚くなる時を待つのが姫の幸せとお考えか」
イヴリニエルの顔から血の気が失せてゆく。
“この人に…お姉様が攫われてしまう。
この人が…お姉様を私の手から奪ってしまう“
そう思った瞬間、イヴリニエルの口からイヴリニエル自身が思ってもいなかった言葉が零れ出た。
「でも…お子は…、どうされるのです…お姉様は…」
“こんな事が言いたいんじゃない!
こんな事が言いたいんじゃないのに…!“
けれど言葉は止まらなかった。
「西方の血は…」
「予はその様なものを姫に望んではおらぬ」
イヴリニエルの言葉を遮って、嫡子がぴしゃりと言った。
その言葉に俯いていた顔を上げたイヴリイエルは、高き山の頂に住まう孤高の鷹を思わせる、嫡男の灰褐色の瞳を見て最早それ以上言葉を継ぐ事が出来なかった。
「西方の血、執政の血、フーリン家の血、それが如何程のものだと申される。
唯人でる姫が持たれる生来の光に比ぶれば、それらに何程の意味があろう」
“ああ…敵わない”
イヴリニエルは両手で顔を覆って項垂れた。
“私はお姉様を攫って行くこの鷹の目をした人に敵わない”
「お姉様を…お幸せに…して下さる?」
イヴリニエルは両手で顔を覆ったままくぐもった声で問うた。
「誓おう」
デネソールの声にイヴリニエルの顔を覆った手の間からぽろぽろと涙が零れた。
「必ずや…お姉様を…お幸せに…」
「その覚悟無くば、そなたの手から姫を攫いはせぬ、鷹の目をした姫よ」
すっとイヴリニエルに近づいたデネソールは震える公女の肩を抱き寄せた。
公女は堰を切った様に声を上げ、嫡男の胸に取り縋って泣きじゃくった。
嫡男はこの公女が泣き止むまで、いつまでもその背を撫で続けた。