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宿業 9

 

捕虜としたオークから情報を探り出し、今後の対策を立て本陣代わりの資材用天幕から執政家の兄弟が並び立って出て来た頃には、宿営地の西に日は傾き夕闇が迫る時刻となっていた。

小規模の宿営であり資材が限られていた為、兄弟の天幕は然程離れぬ場所に設営されていた。

ボロミアと肩を並べて互いの天幕に向かって歩きながら、仮にも戦場ではあったが、ファラミアはこの状況に少なからず胸を躍らせずにはいられなかった。

少なくとも

“明日の朝は幕屋のボロミアをお起こしして朝餉をご一緒しよう”

そんな子供じみた事を考えて仕舞う程には浮かれていた。

何しろ朝一番からボロミアの顔を拝めるなど滅多にない事なのだ。

 

戦時下に於ける有事の備えとして、名のある家の館の中では血縁者間の居室は極力遠ざけて配される。

執政館での兄弟の居室も北翼と南翼という対極にあり、同じ邸内にいても朝から必ず顔を合わせられるというものではない。

それ故2年程前ファラミアの居室でボロミアと酒を飲んだ時、酒豪で鳴らすファラミアとしてはありうべくもない事だが、記憶を失くす程泥酔し、翌日の夜明け前に目を覚ましたファラミアが、腕の中に囲った金の髪を目にした時の衝撃たるや筆舌に尽くしがたものがあった。

結局夜が明けるまで只々その腕の中に金の髪を囲ったままで過ごしたファラミアはその忍耐力と引替えに、起き抜けでぽやんと焦点の合わない蕩ける様なボロミアの笑顔を拝めたのだが、思えば子供の頃はともかくとして、成人してからボロミアの寝起きの顔など見たのは後にも先にもその一度きりである。

それは何も邸内だからというだけの話ではなく、戦場でも同様である。

邸内で兄弟の居室が遠ざけられる様に、世襲を家督の定めとして負う執政家の兄弟が同じ戦場に並び立つ事は、慣習として避けられる。

万が一同じ戦場で部隊が殲滅されでもすれば、家門の血が絶えるからだ。

それ故執政家の兄弟は出来うる限り同じ戦場に赴く事のない様部隊編成される。

やむを得ず同じ戦場を踏まねばならぬ場合には兄弟が同じ陣内にならぬ様布陣される。

ボロミアが左翼であればファラミアは右翼、ボロミアが前衛であればファラミアが後衛、ボロミアが先駆けであればファラミアは殿、という具合である。

それが為にファラミアは、近衛の正規軍を離れる前でさえボロミアを行を共にした戦場は、初陣を含めても僅かに数回しかなく、その数回も宿営地はボロミアの率いる部隊とは遠く隔たっていた。

そして何より、ボロミアの傍らには常にグウィンドールの姿があった。

グウィンドールの姿が見えぬ時にはボロミアの腹心であるトゥーリンかベレグの姿があり、下手をすれば3人が雁首揃えている事も間々あった。

だが今回は違う。

グウィンドールがこの場におらぬのは想定外であるが、ベレグが今節オスギリアスに駐屯中であり、トゥーリンは負傷療養中である、という情報をファラミアは得ていた。

無論ファラミアは“ボロミアの三羽鴉”と呼ばれるこの3人を何も疎んじているという訳ではない。

寧ろ有能な部下がボロミアの傍近くに居てくれる事を心強く思ってはいる。

しかしそれでも戦場に於いて立ち入る隙のない主従のこの関係に、ファラミアは胸の疼きを感じざるを得ない。

そうは言ってもトゥーリンの負傷療養というのが重傷であるとか、命に係わるとかいう話であれば、流石にファラミアとてこの様に安閑とした事を考えてはおられぬ。

だがその負傷療養というのが、グウィンドール不在の理由と同様便宜上の口実にすぎぬという事もまた、ファラミアは知っている。

 

トゥーリンは3人兄弟の長男である。

幼馴染で無二の友であるベレグも同じく長子であり長男ではあるが、妹ばかり5人で男の兄弟がおらぬ為、子供の頃などはよくベレグに羨ましがられた。

だが実はトゥーリン自身は妹が欲しいと思っていた。

それ故という訳でもないが、実際妹の様に可愛がっていたベレグの2番目の妹を娶ったトゥーリンは夫婦仲も睦まじく、次々に3人の男子を授かった。

しかし3人目の息子が生まれたのと時を同じくしてベレグの第2子に娘が生まれると、トゥーリンの妻は彼女自身が4人の姉妹を持っている事もあり、娘を得た兄を大層羨んだ。

トゥーリン自身も娘を望む気持ちは強かったが、2年後4人目の息子が生まれ、夫婦共に娘はもう無理かもしれぬと諦めかけていたところに5人目で待望の娘を授かったのが、トゥーリンのカイア・アンドロス出兵が決まった直後であった。

ボロミアはそのトゥーリンに先の戦での傷が癒えておらぬ故療養する様にと命じ、自らトゥーリンに代わり第1大隊を率いてカイア・アンドロスに遠征したのだった。

 

「今頃トゥーリン殿は赤子をあやしてでもおりましょうか」

隣を歩くファラミアの言葉に

「然様な事もあるやもしれぬ。

 何しろあのトゥーリンが、娘は嫁に出さぬ、などと申して眦を下げておったからな」

ボロミアはまるで我が事の様に幸せそうにそう言って目を細める。

子供好きなボロミアは部下に子供が出来る度、いつもこの様に幸せそうな顔をする。

部下の子ですらこうなのだ。

それが我が子であれば、ボロミアがどれ程深い愛情をその子に注ごうかは想像に難くない。

だがボロミアが妻にと望み、末を誓うと約した白き乙女は既にない。

儚く彼岸に潰えた望みがボロミアの胸の内にある事を知って以来、ファラミアには深く皮膚の内に刺さって抜けぬ棘の様に、昏く蟠る物思いがある。

 

ファラミアにはその理由を口には出せぬだけで、妻を娶らぬ明確な理由がある。

だが執政家の嫡男であり、三十路の坂を越えたファラミアより更に5歳年長であるボロミアであれば、とうに妻を娶り、子の2,3人でもいて然るべきなのである。

そのボロミアが妻を娶らぬ理由が亡き乙女への操立てであるというのであれば、それは余りにも一途が過ぎる。

何しろファラミアの知る限り、ボロミアは寝所に伽を上げた事すらないのだ。

ファラミアの気持ちだけで言うのなら、ボロミアが早々に妻を迎える事や、3日とあけずせっせと寝所に伽を上げるなどという事を望むものでは、断じて、ない。

だが世襲を旨とする執政家に生まれた身を以ってすれば、妻を娶り子を成すは公子としての義務である。

夜伽を寝所に上げるのも、万一嫡流の血が絶えた場合に備え、例え庶子であろうと家系の血を残すという意味があっての事だ。

義務だと思えばこそ、ファラミアとて自ら寝所に伽を呼ぶ事はなくとも、内官が寝所に上げる夜伽を拒むものではないのである。

 

それが夜伽を拒まぬ理由の全てであるなどと図々しい事を言う気はないが、それが理由の一つである事もまた確かである。

 

家門の血を残すなどという事に然したる責任など感じてもおらぬファラミアをしてからがこうなのだ。

嫡男として生まれたボロミアの負う責は重い。

ましてや人一倍生真面目なボロミアの事である。

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