top of page

未明(後編) 2

 

慣例に従い、ボロミアが15で初陣を迎えるに先立ち、ミナス・ティリスでは執政家の嫡子に代々受け継がれてきた大角笛の継承式が執り行われる事となった。

その式典に出席する為、ファラミアは叔イムラヒルに伴われ、実に4年ぶりで白き都の地を踏んだ。

 

今では大公の信任篤いイムラヒルではあったが、父からファラミアの後見として式典への出席を委任された時には、さすがに辞退を口にした。

ファラミア同様…いや、より以上に色濃く姉・フィンドゥラスを想起させる孫・ボロミアにとって、執政家に代々伝わる宝器、大角笛の継承式は、間違いなく孫の生涯で最も大切な行事の一つである。

父が溺愛する孫のその大切な式典に列席したくないはずがない。

しかし、式典への列席が許されるのは各国君主とその世継ぎのみと定められた式典であり、親族として後見の座を占めるとなれば、世継ぎを伴う事も許されない。

それは長き歴史に厳格に定められた式次第だ。

現状、ボロミアの弟であるファラミアを預かるドル・アムロスの大公が、後見の座を戴くのは理に適ってはいるが、後見の座を任ぜられたその父に、自分に代わりその式典に列席せよと言われても、イムラヒルにはすぐには諾とは言いかねた。

そんなイムラヒルに父は笑って言った。

「ミナス・ティリスへの道は遠い。

 わしももう齢だ。

 道中、お前が傍にいた方がファラミアも心強かろう」

「父上…」

アドラヒルは、この4年の間に息子と孫の間に結ばれた強い親愛の情を慮ったのだ。

イムラヒルは父のこの深い愛情に胸を熱くし、謹んでその申し出を受けた。

 

ファラミアと馬を並べてミナス・ティリスに向かう旅の途上、イムラヒルはファラミアに一振りの飾り刀を手渡した。

式典に帯刀は許されなかったが、式典の最後、次の執政を担う嫡子と共に、同盟国とその領国が剣にかけて、ゴンドールへの忠誠を誓うのがこの式典歴代の式次第である。

その最後の宣言の為に各国の列席者は「誓剣」と呼ばれる、実用を伴わない儀式用の飾り刀を用意する。

ファラミアは弟であると同時に、いずれボロミアが、王還らざるまま執政職を継ぐ時には、統治する執政の臣下ともなる身にある。

この飾り刀は、大角笛継承式の式次第がドル・アムロスに届いた時に、その知らせと共に執政の大候から、ファラミアに渡す事を旨として届けられたものだった。

 

一見すると然程華美には見えないそれは、よく見れば、白銀の鞘に優雅な意匠で図案化された大鷲が飛翔し、その鷲の翼が捲く風に金の箔が貼られた飾り彫りの、手の込んだ造りのものであった。

大鷲の目に嵌め込まれた薄い色のサファイアはファラミアの瞳の色によく似合っていた。

誓剣には式典用の式服もそれられていたが、4年間1度もファラミアに会っていないデネソールが用意したとは信じられないほど、それはファラミアにぴたりと合っていた。

 

イムラヒルはそれを見て苦笑した。

 

ボロミアの大角笛継承式はすでに既定の事実であり、日程さえ決まれば、イムラヒルはファラミアの誓剣も式服も準備するつもりでいた。

4年間1度もファラミアに会いに来なかったデネソールが、誓剣はともかくも、式服までも思慮が及んでいるとは考えられなかったからだ。

“敵わぬな…義兄上には”

二人の息子の父となっていたイムラヒルには、ファラミアをドル・アムロスに連れ帰る契機となった出来事が、今では己の浅はかさである事をよく承知していた。

熱を出して臥せっているボロミアの居室に、病み上がりのファラミアを近付けないのは親として当然であり、“まるで追い払う様な”と当時思ったドル・アムロスへの帰投を断じるファラミア同道の許しも、還らざる王を待つゴンドールの執政である義兄にとっては、私情に甘えぐずぐずと長逗留し、領国を顧みなかった自分への婉曲した戒めであったのであろうと理解できる。

理が勝ちすぎて人への表現が不器用な為酷薄な印象を与えるが、義兄は世に言われる様に“血も通わぬ”わけではない事に、イムラヒルは思い至っていたのである。

 

式典はゴンドール執政家の嫡男が、代々受け継がれた大角笛にかけて王に忠誠を宣するもで、未だ還らざる王を待つ執政家の嫡男は、何代にも渡り、主無き玉座にその宣言を宣してきた。

 

曰く

「我誓う。

 我が愛と忠義とを捧げん事を。

 祖国と民と

 我が王に。

 我が角笛の勲にかけて」

と。

 

 

その日ミナス・ティリスのエクセリオンの白の塔は式服に身を包んだゴンドール諸侯の華やぎに湧き立っていた。

東から影も、この日ばかりは心なし薄くなった様にさえ思われた。

玉座の間には正装した君主と世継ぎが一堂に会し、その顔触れが揃った様は壮観であった。

しかし式典が始まり、玉座の間に儀式用の甲冑に身を包んだボロミアが姿を現した瞬間、列席した諸侯の豪奢な色彩は、一斉に色を失った。

 

常には質素を旨とし、贅沢を好まぬデネソールが用意した甲冑は、ボロミアの甘い黄金の髪の色を引き立てる白銀の胴着全体に、木立にを渡る金の風を意匠した凝った飾り彫りが施され、渡る風には金の箔、そよぐ木立にはボロミアの瞳と同じ深い翠の色を持つエメラルドが散りばめられた、贅を尽くしたものだった。

しかし、列席者が息を飲んだのは、甲冑そのものより、それを纏ったボロミア自身の美しさだった。

 

ボロミアが玉座の前に進むのを、列席者たちは息を詰めて見守った。

拝刀する彼らの前を通り過ぎるボロミアを見送る列席者の口からは、一様にほうっとため息が漏れた。

 

同盟国ローハンの継嗣セオドレドなどは、彼自身ボロミアとは種類の違う美しさでつとに名を知られた公子であるにも関わらず、目の前を通り過ぎるボロミアに目を奪われ、危うく拝刀した誓剣を取り落すところであった。

 

ため息が潮騒の様にボロミアを追うのを背に、嫡男は玉座の下、執政の椅子の前に立つ父の前にぴたりと歩を止めた。

 

親族にのみその場を許される執政の左方側面にイムラヒルと共に立ち、すでに充分上気した頬を更に熱くして、ファラミアは兄の凛々しく美しい横顔に、瞬きするのも忘れて見入っていた。

ファラミアは、兄の、父の前に額ずく姿にも、大角笛を押し頂く姿にも、その所作の全ての気高い美しさに心を奪われていた。

王に宣言を宣する兄の、よく徹る声にうっとりと聞き惚れていたファラミアは、ボロミアが式典の最後、自らの誓言を表す為、列席者に向き直るその一刹那、兄の姿を正面に捉えた瞬間、その胴着の左胸に吸い寄せられた。

一見しただけでは分からぬほど複雑に図案化されてはいたが、胴着の左胸には飛翔する大鷲が意匠され、兄の命を守るかの様に大鷲の目が置かれた兄の心臓の上には、ファラミアの誓剣に嵌め込まれたのと同じ色のサファイアが嵌め込まれていた。

 

ファラミアはそれを兄の胸に見止めた瞬間、息が止まるかと思った。

そして次の瞬間には、溢れくる想いに零れ落ちそうになる涙を必死に押し留めた。

 

振り返ったボロミアの

「ゴンドールの為に!」

というその声に

「我らが剣にかけて!」

と、列席者達は誓剣を掲げ、声を合わせて応えた。

 

ミナス・ティリスの白き塔は、その日3度、石の国に誓いを立てる歓喜の声に震えた。

bottom of page