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初恋 11

 

ニーニエルは前栽に膝を付き、その細い指で艶やかな緑の若葉にそっと触れていた。

真っ直ぐ陽の光に向かって伸びる若葉は生き生きと力強く、数週間もすれば必ずや美しい花を咲かせてくれるだろうと、ニーニエルは確かに感じる事が出来た。

一度枯れた他国の花が再びこの地に根付き、この国の花として花開くのだと思うと、ニーニエルの胸にはこの枯れた花が土から引き抜かれ、打ち捨てられ様としていた日の事が昨日の事の様に蘇った。

 

その日、ニーニエルは捨てられ様としていたその花に偶然に触れた瞬間

“根は枯れてない”

そう感じた。

触れた指先には弱々しくともまだ消えてはいない命が息づいているのがしっかりと感じられた。

捨てると言う園丁の一人に自分が世話するからと頼み込んで分けてもらった苗を前栽の片隅に植え、園丁達に一から苗の育て方を教わりながら、毎日慣れぬ作業で泥だらけになりながら、消えかけた命を懸命に守った。

誰からも“もう枯れた花だ”と言われたが、ニーニエルにはそうは思えなかった。

誰に無理だと言われても、唯こつこつと世話を続けた。

 

その花が芽を出し花を咲かせるのだ。

人に助けてもらうばかりの自分にも出来る事があると教えてくれた花。

大切なかけがえの無い方と出会わせてくれた花。

 

それ故ニーニエルは何としてその花に良い名を付けたかった。

だが、いざ良い名をと思うと、いくら考えてもいまひとつしっくりくる名前が思い付かなかった。

 

一度枯れて生き返った花。

それ故二度と枯れる事なく美しく咲き続けて欲しい。

 

ニーニエルはそんな想いを胸に描きながら、白い指先で、そっと緑の葉を撫でた。

 

その時ニーニエルは、ふっと大きく包み込まれる様な人の気配が隣に蹲るのを感じ、気配のする辺りに目を向けた。

 

西方の血を継ぐドゥネダイン程ではないにしろ、ニーニエルの耳は常人よりはるかに聡い。

生きていく必然として聡くなった耳を持つニーニエルは、ドゥネダインと違い、意識をそこに寄せずとも、足音や人声を周りの誰よりも疾く聞き分けた。

 

しかしそのニーニエルが、隣にその人の気配が蹲るまで、足音も聞き付けず、その気配にも気付かなかったのだ。

その事に誰よりもニーニエル自身が驚いていた。

「何をしておる」

静かに重く、胸に響く声音だった。

それがなぜか、ニーニエルにはどこか懐かしく温かく感じられ、その人の気配を訝しむ気持ちはまるで起こらなかった。

「花の名を考えておりました」

「花の名?」

「はい、この花に良い名を付けとう存じまして」

その人は暫しの後

「一度枯れた花だ」

と低い声で言った。

「この花をご存知なのですか?」

ニーニエルのその問いには答えず、その人は問い返した。

「花は、咲くのか?」

「咲きます」

ニーニエルの迷いのない真っ直ぐな声に、その人が微かに微笑む気配を、ニーニエルはその時確かに感じ取った。

「ロスイア」

「ロスイア?」

「妻も草花を育てるのが好きであった。

 育てている苗が花開いたら、そう名付けたいと申しておったのだ」

「奥様が?」

「エルフ語で“花咲く永遠”というほどの意味がある」

“花咲く永遠…”

ニーニエルは若葉の萌出る辺りに目線を落とした。

“ロスイア”というその名は、初めからこの花の名であるかの様に、しっくりとニーニエルの胸に馴染んだ。

“でも…”

とニーニエルは躊躇った。

“奥様がお付けになりたかったお名前を…”

その時ニーニエルの胸の内を見透かす様に

「この花に相相応しい名ではないか?」

というその人の声に、はっと顔を上げたニーニエルの手を、大きな手が包み込んだ。

「この花がその名で呼ばれるならば、亡き妻も喜ぼう」

「奥様が…」

“亡くなって”という言葉が喉の奥に消え、ニーニエルは思わず自分の手に重なる、その人の大きな手を握り締めていた。

「花の名を…、ありがたく頂戴いたします。

 奥様のお心に添う様、大切に育てます」

その人は何も言わず、大きく温かな手で、ニーニエルの手を握り返すと、来た時と同様に、ふっと気配をかき消す様に、足音もなく立ち去った。

 

ニーニエルの手には、温かな温もりだけが残った。

ニーニエルにはその大きな手の温もりが、僅かにボロミアに似ている様に感じられていた。

 

 

丁度その頃オスギリアスからの伝令がミナス・ティリスの大門を潜り、官邸の会議室ではデネソールの侍従が、彼の主を迎えていた。

 

 

オスギリアスからの伝令を受け、午後も早々の時刻にミナス・ティリスから出陣しんたオスギリアスへの増兵部隊の中に、ボロミア一人はグゥインドールを見送った。

 

第6階層のアーチ門から最後尾の兵の姿が消えるのを見届けたボロミアの隣に、第1大隊大将であるトゥランバールが大股でやって来ると

「皆往きましたな」

と、歳を感じさせない太い声でそう言った。

「今回の出兵はどうも虫が好き申さぬ。

 敵の動きがさっぱり解せませぬ」

トゥランバールは、その太い首筋を撫でながら渋い表情を作った。

「だが都にはミナス・ティリスいちの精鋭部隊が残っておろう?」

ボロミアが明るい目を向け、そう悪戯っぽくトゥランバールに笑いかけると、その豪放磊落な大将は呵々と大笑破顔した。

「然様に御座る。

 我が第1大隊ある限り、敵が如何様に小癪な策を弄そうと、我等が都に指1本触れさせるものでは御座らん」

「頼もしいな、大将」

ボロミアも明るい笑顔でそう答えた。

「まだまだ若い者には負けませんわい。

 明日からはこの儂自ら歩兵等と共にランマス・エホールに出向いて警備に当たるつもりで御座る」

嬉しそうにそう言うトゥランバールの顔を見て、ボロミアはくすりと笑った。

「何で御座る、若?」

「いや、大将ともなると、前線に出るのは随分と久しぶりになるのであろう?」

「全くで御座る。

 後陣で座して軍略の講釈など聞きおると、儂はどうも尻がむずむずして敵いませぬ」

「その気持ちはよく分かる。

 私も軍議は苦手だ。

 戦場で敵と斬り結んでいる方が性に合っているからな」

ボロミアはそう言うと、トゥランバールと顔を見合わせ、声を立てて笑いあった。

 

 

その日も一日中マブルングを探し回ったニエノールは、結局夜になってもマブルングを見つけ出す事が出来なかった。

いや増すばかりの不安を胸に抱えたまま、それを誰にも告げる事が出来ず、ニエノールは再び眠れぬ夜を迎えていた。

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