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血脈 1

 

3002 ミナス・ティリス

 

誰よりも世界中で一番お姉様が好き

だからずっとご一緒にいるわ

だって、一番好きな人の手は

決して放してはいけないのだもの

それはまるで何か神聖な宣言の様だった

 

 

このところの数か月間、白き都では東からの影が鳴りを潜め、比較的穏やかな日が続いていたおり、不気味な静けさの中にも民の暮らしは平安を保っていた。

 

そこに同盟国ローハンから、セオデン王が亡き妹の二人の子を引き取ったお披露目の宴を張る由の知らせがあり、ボロミアは父・デネソールの名代としてその宴への招待を受け、王の居城があるエドラスへと出向いていた。

ファラミアはここ最近では正規の軍組織から離れ、ヘンネス・アンヌーンに駐屯し野伏達と諜報活動に従事する事が増えていた為、この時もファラミアがミナス・ティリスに戻った時にはすでにボロミアが出立してから幾日も経っていた。

 

以前と違い、兄の居ない白き都に僅かに安堵する自らの心持ちに、胸の内で自嘲の笑みを漏らしたファラミアの元に叔父・イムラヒルがミナス・ティリスに向かっているとの先触れが到着し、ファラミアは思いがけぬ叔父の来訪に久しぶりで曇りなく胸が弾んだ。

 

イムラヒルがミナス・ティリスに到着した時出迎えたのはファラミアだけであった。

賓客との謁見が長引き迎えに出られぬデネソールの名代を務めたのだが、むしろファラミアにとっては久方ぶりに叔父と水入らずで、互いの近況やドル・アムロスでの思い出を語り合う事の出来る心晴れるひと時となった。

 

イムラヒルにとって今回の訪問は“ロスサールナッハへの所用のついで”という事になっていたが、本来の目的は正式に葬られる事のなかった双子の姉・イヴリニエルの命日に合わせての墓参であった。

今では大公アドラヒルの名代として一国を預かる多忙な身のイムラヒルなれば私用での他国訪問はそうそう容易い事ではなく、況してや公に出来ぬ姉の墓参となれば尚更である。

僅かに命日の当日から日をずらし、ロスサールナッハへの所用を口実にせねば姉の墓参も出来ぬ事に、イムラヒルは少なからず胸の痛みを覚えていた。

 

その夜デネソールとの謁見が許されたイムラヒルが執務室に大侯を訪ねると、珍しく既に執務を終えていた義兄が執務机を離れ義弟を迎えた。

「お久しゅう御座います、義兄上」

「ロスサールナッハに所用があったとか」

「はい、少々時間が空きました故こちらへも伺わせて頂きました」

大侯の口元に薄らと笑が浮かんだ。

「日程調整にさぞ苦心した事であろうな」

イムラヒルもにっこりと微笑んだ。

「はい、それはもう」

互いに含みのある笑みを口元に上らせた義兄と義弟は、義妹であり姉である人の眠る塚のある、執政家の陵墓があるであろう方角を見遣った。

「明日行くか?」

「そのつもりです」

「予は賓客があり行けぬが、ファラミアを同行させてくれぬか」

「ファラミアを?」

ふ、と義兄が微苦笑の様な息を吐いた。

「あれはイヴリニエル殿を知らぬが、姫が存命であったならあれの良き理解者になっていたであろう」

義弟もまた淋し気な笑みを浮かべ呟いた。

「真に」

 

 

“ドル・アムロスのじゃじゃ馬姫”と呼ばれたイヴリニエルは、その名に恥じぬじゃじゃ馬ぶりで、しばしば周囲をやきもきさせた。

透ける様に白い肌に白味がかった金の髪、瑠璃の如き青い瞳の美しさは、黙って立っていれば中つ国一の美女、ドル・アムロスの黄金の真珠と謳われた姉・フィンドゥイラスに比肩するかとも思われる美貌であったが、いかんせん、イヴリニエルほど“美女”という形容が不似合いな姫もあるまいと、宮中の者達はイヴリニエルを見る度ため息を吐いた。

 

芝草の上を裸足で走る、木に登る、鞍も付けない馬を駆る、果ては男達に混ざって剣まで握ろうとする始末で、流石にこの時ばかりは父・アドラヒルにこっぴどく絞られ暫くは大人しくしていたが、兎に角凡そ名家の姫らしいところがまるでないイヴリニエルには宮中の殆どの者が振り回された。

唯一人を除いては。

 

イヴリニエルの5才年長の姉・フィンドゥイラスは、西方の血もエルフの血も継ぐ家系にあって、その優れた美しさ以外西方の血に流れるはずの超常の力を何一つ持たずに生まれた。

 

それどころか生まれてすぐ医師達から「二十歳までは生きられますまい」とまで言われた、弱く病みがちに生まれついた娘の身を深く嘆いた両親は、長くは生きられない宿命ならと、娘の為、宮中でも最も美しい景色の見られる一角に大きな窓を持つ一室を設え、真綿で包むが如き細心さを以て、大切に大切にこの娘を育てた。

 

フィンドゥイラスが5才になった時、双子の妹と弟、イヴリニエルとイムラヒルが生まれた。

この二人はフィンドゥイラスとは逆に、西方の血もエルフの血も十二分に受け継いだ。

見目麗しい容貌に頑健な体、鋭き目に敏き耳、超常の力の恩寵を余すところなく持って生まれたこの双子に、宮中の廷臣達はほっと安堵の息を漏らした。

 

かと言ってフィンドゥイラスの扱いが粗略になったという事はなく、特にその美しさは見る者を惹き付けずにはおかなかった。

長ずるにつれ子供の頃程病みつく事が少なくなったとはいえ、滅多に部屋を出る事なく、ひっそりと暮らす儚い美少女は、たまさか彼女を見かけた者を虜にせずにはおかなかった。

ある時大変子共好きなこの姫が、廷臣の子に花が綻ぶ様に微笑みかけるのを見かけた者が、10日は夢見心地で過ごせると吹聴して回ったのは、今でもドル・アムロスの語り草になっている。

 

勿論双子の妹と弟もこの美しい姉によく懐き、殊に妹のイヴリニエルは外を駆け回っていない時には、大抵姉の部屋に入り浸っていた。

 

フィンドゥイラスが15になった時にはその美しさは国の内外に広く知れ渡り、早々に求婚者さえ現れたが、大公は誰に対しても決して首を縦に振らなかった。

先の知れぬ身の娘なら、最期の時まで傍近くにと言うのがアドラヒルの言葉であったが、フィンドゥイラスもまた、いつ儚くなるか分からぬ我が身なら、愛する父母や弟妹達と共に在る事をと望んだのである。

 

その姉が、星の数程の求婚者の誰にも嫁さずドル・アムロスに留まったのを、誰より喜んだのはイヴリニエルであった。

 

何人目かも分からないフィンドゥイラスへの求婚者がすごすごと国に帰るのを、イヴリニエルが喜々として見送った翌日、久しぶりに大層加減の良い様子のフィンドゥラスを囲んで大公の一家は午後のお茶の時間を楽しんでいた。

イヴリニエルは当然の様に姉の隣にぴたりと張り付き、その青い目をキラキラさせてバラ色の頬に輝くばかりに湛えられた姉の笑顔をうっとりと眺めていた。

「もうこれで何人目ですからしら」

とため息を吐く妻に大公は「何人目だろうと関係なかろう」と素っ気無く答えた。

娘への求婚者が後を絶たなくなって以来、大公の妻は娘を嫁に出す事も吝かではないと思い始めており、前日その求めを退けた求婚者も、大公の妻の目には申し分ない貴公子に映っていたのである。

母の様子にほんの僅か姉の面に影が差すのを見て取ったイヴリニエルは、一心に見詰めていた姉の顔から母に目を移し

「お姉様はどこにもお嫁になんか行かないわ」

と、10才の子供とは思えぬ程真剣な声できっぱりとそう言った。

「どこにも行かないで、ずっと私とご一緒にいらっしゃるのよ」

母である大公の妻は呆れた様に小さな娘を見て言った。

「例えお姉さまがお嫁に行かなくても、あなたがお嫁に行くでしょう?」

「私もお嫁になんて行かないわ。

 だって私はお姉様とずっとご一緒にいるのだもの」

イヴリニエルはその瞳にこれ以上ないという程真剣な光を湛え、それまでイムラヒルが一度も聞いた事のない真摯な声で言った。

 

「私はお姉様が好き。

 お父様よりお母様より…イムラヒルより、よ。

 誰よりも世界中で一番お姉様が好き。

 だからずっとご一緒にいるわ。

 だって、一番好きな人の手は、決して放してはいけないのだもの」

それはまるで何か神聖な宣言の様だった。

 

 

イムラヒルにはその時のイヴリニエルの声が、今でもはっきりと耳の奥に残っている。

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