がんばれ!ファラミア
~執政家に首ったけ~
初陣(後編) 2
ニンダルヴでは見事に先制攻撃が功を奏し、自軍は無傷のまま完膚なきまでに敵を叩き潰す完勝を収めた。
意気揚々と凱旋した兵達は白き都に歓喜を持って迎えられた。
大候への戦勝報告の場には幾分やつれた風情ではあったが、ボロミアも同席し、白の塔では久しぶりに明るい空気が満ちていた。
ミナス・ティリスへの帰投後、ファラミアの寝所には2度夜伽の女官が上がったが、ファラミアは最初の時とは違い、その2度共に度を失うことなく淡々としきたり通り事を成した。
“あの夜は…かの者のあの瞳の色に自らを見失ったに過ぎぬ”
ファラミアは自らにそう言い聞かせる事が出来る余裕を取り戻していた。
戦勝報告の数日後、ローハンから王の名代として継嗣・セオドレドがボロミアの傷病見舞いを兼ねて戦勝の祝いにやって来た。
エクセリオンの王の間でローハンの王子を迎えた大候の前には、暫く見ぬうちにすっかり背が伸び、心なし王家の者のみが持つ、押し出しの強い風格さえ身に着け始めたかに見えるセオドレドが進み出た。
戦勝の祝いというのが来訪の目的であった為、その場にはボロミアと共にファラミアも同席していたが、セオドレドのその堂々たる姿を目にして、なぜか言い知れぬ不安を感じていた。
ふと見ると、父・デネソールの感情を読めぬ表情の中にあって、その灰色の目の奥にだけ、なぜか自分と同じ懸念の影が過るのを感じ、ファラミアは胸の奥に蟠る不安が募るのを感じた。
その中でボロミアだけが、屈託のない明るい笑顔で友の姿を打ち眺めていた。
戦勝祝いの口上の後、ローハンからの献上品の目録を大候の侍従に渡し、セオドレドは傍仕えの小姓から美しい細工の小箱を受け取り、執政の大候に向かって
「これはローハンからの品ではなく、わたくし個人がボロミア殿の見舞いにお持ちした品なれば、わたくし手ずからボロミア殿にお渡ししたいと思いまするが、お許しいただけましょうか?」
平然とそう言い放った。
普段感情が表に現れる事の稀なデネソールがその言葉に苦虫を噛み潰した様に眉を顰めた。
しかし、否と言うわけにもいかず、大候は唸る様に一言だけ「うむ」と言った。
大候の許可を得たセオドレドは、全く悪びれる様子もなく、ボロミアの方に向き直ると、ボロミアに頷いて見せ、ボロミアもにこにことセオドレドに歩み寄った。
その様子をそれぞれ、執政の椅子とセオドレドの側面から、同じ表情で見詰める父と息子がいた。
並ぶと僅かに自分の背を越えるセオドレドから小箱を受け取ったボロミアが箱を開けて中を見ると、そこには手の込んだ細工を施した砂糖菓子が美しく並べられていた。
「そなた甘い物が好きであったろう?」
砂糖菓子を子供の様にキラキラと目を輝かせて見るボロミアと、その様子をうっとり見詰めるローハンの美丈夫の、二人ながらの美しい姿はその場に居合わせた女官達をして、後に「伝承に歌われる王子と姫の様」と騒がせた麗しい光景であったが、執政家の当主と次男だけは苛立たしさも露わに、共に眉間の皺を深くした。
その時
「これは見事な…。
礼を申し上げる、セオドレド殿」
と、僅かに目線を上げたボロミアが、セオドレドの顔を見てきょとんと小首を傾げた。
その様子にセオドレドにみならず、大候もその次男も皆一様に「?」という表情を浮かべたが、ボロミアはすぐ「ああ」と、得心がいったという風に頷いた。
「暫く見ぬうちにセオドレド殿の背が伸びたのだな」
ボロミアのその言葉で、二人を見守っていた周りの空気が一気に緩んだ。
「左様、今ではそなたの背丈を越したぞ」
セオドレドは面白くてたまらないという風に笑い、そしてボロミアの目を覗き込むと、意味ありげに言った。
「何しろ夜も鍛錬しておるからな」
その瞬間大候とその次男の周りの空気が氷点下の勢いで凍り付いたが、嫡男の次の言葉でその空気が一瞬で弛緩した。
「夜まで鍛錬しておるのか、それは凄いな。
背も伸びようというものだ。
私も見習わねば」
今度きょとんとしたのはセオドレドの方だった。
しかしその一瞬後、破顔一笑したセオドレドは
「そなたという奴は!
ああもう本当にそなたという奴は!」
そう言って、がしっとボロミアを抱き締めた。
なぜそういう事になるのか全く分かっていないボロミアが目を白黒させて、されるがままになっているのをいい事に、放っておいたらそのまま口づけまでもしかねない勢いの黒髪の王子に、白の塔の大侯の地を這う様な一喝が飛んだ。
「セオドレド殿」
「ああ、これは失礼致しました。
ボロミア殿があまりにもかわい」
「セオドレド殿」
皆まで言わせず、今度は側面から大侯とは別の、氷の刃も斯やとばかりの冷たい声が飛んだ。
「エドラスからではお疲れでしょう。
お部屋をご用意致しております故、本日はゆるりとお休み下さい。
わたくしがお部屋までご案内致します故」
「お連れする部屋は分かっておろうな、ファラミア」
「承知しております、父上」
普段の親子からは想像し難い程絶妙に息の合った大侯と次男に、黒髪の王子が薄らと皮肉な笑みを口の端に上らせた事に気が付かなかったのは、執政家の嫡男だけであった。
ローハンの黒髪の継嗣は、白の都の大侯の、そのひと睨みでオークすら凍り付くと言われる氷の視線にも、その大侯の次男の、どこまでも穏やかでありながら、それ以上にどこまでも慇懃に帰国を促す笑わぬ氷の笑顔にも、全く動ずる事なく、意に介する様子すら見せず、のうのうとミナス・ティリスで、6日もの時を過ごした。
そしてその6日の間「友よ」の一言で、情に篤い白の塔の君をしっかりと傍らに囲い、その笑顔を独占した。
いよいよセオドレドが帰国するという日、普段作法に厳しい大侯や、儀礼の仔細に通じ式次第に目配りの行き届いた次男が、出立の儀の礼もそこそこに、ローハンの継嗣をエクセリオンの塔の外に追い立てたが、当の王子は愛馬に跨る直前「いずれまた」と“友”の頬に口付けを贈る事に手抜かりはなかった。
思いもかけぬ不意打ちに、ぽかんと黒髪の友を見送る嫡男と、蒼白になったこめかみに青筋を立て、わなわなと肩を震わせ拳を握り締めている親子にひらりと背を見せ、馬の司の王子は、ひとり上機嫌で西の国に帰って行った。