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三点の力学(前編)

 

「残られるのですか?角笛城に」

グウィンドールは思わず帰投の準備をする手を止め、副官として仕える歳下の主、白の塔の総大将・ボロミアに目を向けた。

 

 

同盟国であるローハンの世継ぎセオドレドから角笛城の急を告げる知らせを受け、グウィンドールが主と共にミナス・ティリスの近衛2個大隊を率いて角笛城に到着したのは2日前の夕刻である。

角笛城が聳えるヘルム渓谷はミナス・ティリスの西に広がるローハンの中でも最も西に位置し、ミナス・ティリスからは何程急いでも騎行で6日は掛かる。

その距離は出兵時の懸案であったが、懸念は的中し、ミナス・ティリスの近衛部隊が角笛城に到着した時城塞の大門には既にオーク軍が殺到し、ローハンの兵達は籠城を余儀なくされていた。

 

斥候の報告に拠れば大軍勢とは呼べないまでも、オーク軍はざっと見積もって歩兵千に近いという事であり、その数はミナス・ティリスの近衛部隊にほぼ倍する。

城郭内に残るローハンの兵と合わせても、自軍は兵数でオークの軍に幾分劣るだろう。

だが戦力とは兵の数のみで決まるものではない。

その点に於いてグウィンドールに案じるところはなかったが、報告されたオーク達の様子を聞く限り、兵の数より寧ろその奇態な行動の方にグウィンドールは不気味な違和感を感じたのだった。

 

オーク軍の兵達は通常のオークより格段に人に近い恵まれた体躯を持ち優れた身体能力を示してはいるものの、その中の多くは明らかに動きがぎこちなく、挙動不審な行動が目立つと言うのだ。

斥候の兵は「何やらこう…動物実験でも見る様な不快な様子で…」と、顔を歪めて報告したのだ。

 

「妙だな」

斥候の報告を聞いた主が隣でそう呟くのを耳にしたグウィンドールは

「ボロミア様もそう思われますか?」

と主に目を遣った。

「うむ。

 だが一先ず仔細は後だ」

主はそう言うと愛馬の馬腹に拍車をあてた。

「行くぞ」

 

援軍の到着を知らせる角笛がヘルム渓谷に響き渡り、大門に群がって城門を打ち破る事に血道を上げていたオーク達は、その時漸く背後から現れたミナス・ティリスの近衛部隊に気付き慌てふためいた。

それまで防戦一方だったローハンの兵達はその機を逃さず援軍の到着に合わせるかの様に反撃に転じると、狭間胸壁の上から大門に群がるオーク達に向かって一斉に矢を射かけた。

 

度を失い算を乱して逃げ惑うオーク達は、背後を固めたミナス・ティリスの近衛部隊に尽く討ち取られ、夜明け前に勝敗は決した。

 

 

その後自軍には軽傷者数名を出しただけの快勝を収めた事を確認したのが昨日の事になる。

 

しかし、開門した角笛城でミナス・ティリスの近衛部隊を出迎えたのは援軍を要請したローハンの継嗣・セオドレドではなく、その名代である継嗣の副官であった。

訝しむボロミアに継嗣の副官はセオドレド負傷の旨を告げ、戦の事後処理に関する軍議の後、居室を訪ねてくれる様にという世継ぎの言葉をボロミアに伝えた。

セオドレドと昵懇の仲であるボロミアは継嗣負傷の報に表情を曇らせたが、白の塔の総大将である身としては、軍議は私事に優先する。

ボロミアは軍議の後継嗣の居室を訪ねる旨を副官に告げ、副官はその旨を主に伝える様小姓を主の居室に走らせた。

 

実際には軍議を終えた後、ローハンの兵達は燦光洞に備蓄していた糧食を運び込み宴の席を設けたのだが、ボロミアは早々にその宴席を中座しセオドレドの居室に向かった。

 

一夜明けた朝餉の後、ミナス・ティリスへの帰還準備を始めたグウィンドールの元にやって来たボロミアは、幾分困惑気味な様子でグウィンドールに近衛の部隊を率いて先にミナス・ティリスに帰投してくれる様にと切り出した。

 

 

「残られるのですか?角笛城に」

そう問うグウィンドールに

「セオドレド殿が暫し留まってくれぬか申されてな」

と、主は苦笑した。

「どうやらいつもの酔狂というばかりでもない様なのだ」

主のその言葉にグウィンドールもつい苦笑を漏らす。

 

主は今年40になるグウィンドールより6才歳下である。

その主と同じ歳である隣国の継嗣はしかし髭を蓄える事もせず、長く伸ばした漆黒の髪を風に靡かせる様は詩歌に聞くエルフとは斯やもあろうかと思われる美貌の持ち主である。

但し斯く言う継嗣本人はその典雅な美貌に反し、到底一国の世継ぎとは信じ難い天衣無縫な自由人である。

何しろ「ボロミアの顔が見たくなった」というだけの理由で、供回りの従者も連れず、ふらりと単騎でミナス・ティリスにやって来る様な御仁なのである。

 

この気儘で奔放な隣国の継嗣に、実直で生真面目な主が振り回される事もしばしばなのだが、主とこの継嗣は、主が初陣を前にした大角笛の継承式に同盟国の世継ぎとして継嗣が臨席した14の歳からの長い付き合いである。

主も継嗣のその気質は充分承知している。

“まぁ、気質を承知している事と趣味嗜好を理解している事とは違うのだが…”

 

隣国の継嗣が共寝の相手に求める者が妙齢の婦人などではない事は、ローハンの兵のみならず、ミナス・ティリスの近衛の間でも広く知られた事実である。

軍籍に身を置く者にとって、その様な趣味嗜好は特段珍しい事ではない。

グウィンドール自身には経験はないが、行為だけの事であれば、長期の遠征等の際一度や二度経験している者も多い。

感情面に於いても死と隣り合わせの戦場で、互いに命を預け合う朋友に友情の延長として強い絆を感じるというのはそれ程不自然な事でもあるまい、とグウィンドールは思う。

だが大半の兵は戦場から日常の生活に戻れば、ごく普通に都の娘達と恋に落ち、妻を娶り子を成す。

その様な日常の中にあって尚婦人に心が向かぬ者はやはり少数派なのである。

それ故その様な嗜好を持つ者が大っぴらにその嗜好を口にする事はない。

それが高貴な身の者であれば尚更である。

だが隣国の継嗣は違う。

自らの嗜好を隠し立てする事もなく平然と公言して憚らないのである。

それでも尚主は、継嗣のその情が自らに向くなど夢にも思っておらず、固い友情を信じて露程も疑わないのである。

 

どうにも報われぬ美貌の継嗣には、些か苦笑交じりの同情を覚えぬでもないが、グウィンドールの心情としては、主にはこのまま『聞かぬが花』でいて欲しいところだ。

 

その真面目一方な、何かに付け私事を後に回して公の責務を優先させる主が継嗣の言を“いつもの酔狂ではない”と言う以上、それは確証があっての事であろう。

埒もない内心の懸念を面に出さぬ様グウィンドールは

「承知しました」

と、主に向かってそう頷いた。

 

 

角笛城に主と供回りの兵を数名残し白き都に帰投したグウィンドールは戦果を報告する為、幾分緊張した面持ちで執政である大侯の執務室を訪れた。

 

主から大侯へと、角笛城逗留の主旨をしたためた書状を託され都に帰投したグウィンドールは、その書状を大侯に手渡す際、何時になく身が強張るのを感じた。

ゴンドールの執政たる大侯と、その嫡男にして白の塔の総大将であるボロミアの間にある、極めて強い親子の絆を知らぬ者はこの白き都には一人としておらぬ。

それは白の塔の総大将に対する執政の絶大な信頼と、その信頼に応えるべく常に大侯の意向を重んじてきた総大将という構図の中でこそ培われてきた愛情であると信じる都の民は多い。

この親子をよく知るグウィンドールでさえ、私事で他国への長逗留を好まぬ大侯の意向に反した今回の主の行動が、親子のその強い愛情に僅かなりとも影を落とす事になりはしまいかと案じられていたのだ。

 

執務机の向こうで書状に目を通していたデネソールは「相分かった」とだけ言うと、手にした羊皮紙をくるくると几帳面に丸めた。

落胆や憤りが微塵も含まれておらぬその声に、グウィンドールは床に落としていた目を上げ、思わず大侯の顔を見上げた。

「相変わらず苦労性だな、グウィンドール」

大侯の深く響く声にグウィンドールは声もなく目を瞠った。

「あれは時に恐ろしく鈍い故、そなたも苦労が絶えぬであろう」

「そ…その様な事は決して…!」

咄嗟に頭を振り口篭るグウィンドールの様子に、デネソールの口の端には薄く笑みが象られる。

「そなたの様な副官があれの側近くにあればこそ、予も心安んじておられようというものだ」

「閣下…」

声を詰まらせたグウィンドールは、デネソールの灰色の目の奥に点る温かな光は、やはり主に似ている、と思う。

主と違い、人知を超えた威容を感じさせる大侯は畏怖される事のみが多いが、数こそ少なくとも稀にこの様な厚情に触れた者が、その高潔にして徳高い人柄に惹かれ、熱狂的な大侯の信奉者になるというのもむべなるかな、である。

「余計な心配事まで抱えての長途ご苦労であった。

 早々に下がり、ゆっくり休むがよい」

大侯の言葉に胸が熱くなるのを感じながら、グウィンドールは深く一礼し、大侯の執務室を後にした。

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