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初恋 3

 

バラド=ドゥアに住まう瞼のない目は、エフェル・ドゥアスを越え、人の子が“守護の塔”と呼ぶ、嘗てその塔に日、没すると言われた高き頂きを持つ白き都にその目を向けていた。

 

その都に生まれた光が育っている。

人の歳月で言うところの15年程の間、という事になろうか…。

 

それは弱く脆い人の子の持つ淡い儚い、弱々しい光だったはずだ。

少なくともその淡い光を守護するふたつの強い力を持つ光、白き塔の主たる巨星の如き堅固で強固な光と、その淡き光より遅れて生まれた青く輝く強き守護の力を持つ光より、遥かに弱く儚い光だったはずだ。

 

にも関わらず、瞼のない目は、その弱き故の淡く温かな光芒を放つ光から目を離せなかった。

“目障りだ”

瞼のない目は思った。

これ以上光が育たぬうちに、人の子の心を照らすその光を消し去ってしまわねばと。

 

 

「見たか、べレグ?」

「…うむ…」

トゥーリンとべレグは園庭の植込みから650フィート以上先に見える年若い主と女官見習いらしき娘が手を取り合う姿を、刈込まれた植込みの上に目から上だけ出して見入っていた。

「まさかあの若が…、なぁ、べレグ」

「…うむ…」

「それにしても、大層な美少女ではないか…、なぁ、」

「確かにな」

背後から掛かった声に振り向いたトゥーリンとべレグは、そこに上官の姿を認めて、思わず二人同時に声を上げた。

「グウィンドール様!」

「こら、声が高い」

慌てて口を塞いだトゥーリンとべレグは、上官と共に急いで植込みの後ろに姿を隠した。

暫し声を潜めた二人は、上官が僅かに植込みから顔を出し、主の様子を確かめた後“大丈夫だ”という仕草をしたのを見てほっと息を吐いた。

「なぜここにグウィンドール様が?」

とトゥーリンが問うのに答え

「療病院に行ったところ、トゥランバール様に若がこちらだと伺ったのだ」

グウィンドールがそう言うと

「我等も若のご様子が気掛かりで両病院に向かう途中、若とすれ違いまして…、なぁ、べレグ」

と、トゥーリンに水を向けられたべレグが話を引き取った。

「第6階層から上がって来られた若を追ってここへ参りました」

「成程、そういう訳か。

 しかし…」

三人は植込みから顔を出して主と少女が楽し気に庭木の世話をする姿を眺め、それぞれ顔を見合わせると、再び植込みの陰に姿を隠した。

「トゥランバール様に伺った時は信じ難かったが…。

 まさかあの若が…」

呟くグウィンドールにトゥーリンが聞いた。

「女官見習いの様にしか見えませんが、グウィンドール様はあの娘をご存知なのですか?」

グウィンドールは「いや」と首を振って

「私は直接知らぬが、あの娘の父が近衛の兵だったという話は、トゥランバール様によく伺っていた」

「トゥランバール様に…ですか?」

怪訝そうな表情になったトゥーリンに、上官は柔和な笑顔を見せた。

「トゥランバール様は私が入隊した時の上官でな、新兵の頃は酒席でいろいろお話しを伺ったのだ」

目を丸くしたトゥーリンの横で、普段ものに動じないべレグも、珍しく表情を変えた。

声を立てずに笑ったグウィンドールは          

「今ではトゥランバール様もお立場がある故、新兵と酒の席を囲むなど有り得ぬ事と思うだろうが、本来酒豪で知られるご陽気な御方なのだ。

 さぁ、若のご様子も分かった故兵舎に戻るぞ。

 午後からは演習であろう」

そう言ってグウィンドールは二人の部下と共に立ち上がったが、その刹那ちらりと園庭の公子と少女を振り返り、微かにその表情を曇らせた。

 

兵舎に着く迄にトゥーリンとべレグはグウィンドールからニーニエルの事をいくらか聞き知った。

ニーニエルの母はドル・アムロスからボロミアの亡き母・フィンドゥイラス付きの女官としてこの白の都にやって来た事。

近衛の兵だったニーニエルの父と恋に落ち、故郷を捨てて彼に嫁し、慣例に従い城中を辞した事。

生まれた娘は光を捉える事が出来ぬ目を持つ赤子だった事。

その娘が5才の頃その兵が亡くなり、近衛であった夫の恩給が下賜されるとは言え、親との縁の薄かった夫亡き後、頼る者とて少ない異国の都で、目の見えぬ娘を育てるドル・アムロスから付き従って来た、その若い母を何くれとなく気に掛ける妻の様子を見て取った大侯の言により、異例の事ではあるがその母が女官として城中に復職した事。

そもそも亡き兵自身もまた、親との縁薄かった幼少の頃より近習として仕えた大侯を父とも慕い、その実直さで大侯の信を得た者だったという事。

そして城中の女官達が皆、復職したその母娘を温かく迎え入れたという事を。

 

兵舎に着いた時、トゥーリンは首を傾げで言った。

「しかしそれなれば、あの娘が女官見習いの様な事をせずともよろしいのでは?」

「あの娘の母親は一年程前に亡くなったそうだ」

グウィンドールは神妙な面持ちでそう言った。

「それは…」

上官の言葉にトゥーリンが声を詰まらせ、べレグの表情も曇った。

「母親が亡くなった時にはまだあの娘は14であったそうだが、頼るべき縁者もなかった娘を、女官達が城中に置いてやって欲しいと上申したそうだ」

トゥーリンとべレグはそれを聞くと互いの顔を見合わせた。

「目は見えずとも大層聡明で気立ての良い娘だそうだ。

 赤子の頃から面倒を見てきた女官達にしてみれば、女官達皆の娘の様な心持ちらしい」

上官は穏やかな声でそう言った。

トゥーリンは感慨深気に頷き

「まさに若に似合の娘ですね」

と嬉しそうに言ったが、隣でべレグは

「確かに私も似合いだとは思うが…」

と言葉を濁らせ、そのべレグの言葉にグウィンドールも小さく溜息を吐いた。

「あの娘はじき15だそうだ。

 然為れば正式に女官となって城中に上がろうが…」

「あ」

トゥーリンも気付いて表情を曇らせた。

公子の、ましてや嫡男であるボロミアと一介の女官である身寄りのない娘の恋など、引き裂かれるにしろ、密やかな闇に沈められるにしろ、どのみち日の目を見る事などないのだ。

あれ程日の光の下が似合う二人もあるまいと思われる、公子と少女の晴れやかで睦まじい笑顔を目にした後だけに、それを思うと三人の心は自然重く沈まずにはいられなかった。

 

丁度その頃園庭ではその公子が庭仕事を終え

「母上のお好きだった花故、芽が出てくれれば良いが」

と、水を含んだ土に手を置いてそう呟いていた。

公子の声を耳にした瑠璃の瞳をした少女は

「大丈夫です、ボロミア様。

 ボロミア様がお水を遣って下さったのですもの。

 きっとまた芽を出してくれます」

そう言って明るく微笑んだ。

「そうだな、ニーニエルがそう言うならきっと大丈夫だ」

ボロミアもそう微笑み、極自然にニーニエルに手を貸して立ち上がった。

ニーニエルはボロミアの包帯から覗いた長い指に包まれた自分の細い指の辺りを見詰め

「ボロミア様のお手は剣より緑の草花の方がお似合いになります」

とそう言った。

ボロミアは驚いた表情でニーニエルを見遣り、それから僅かに土の付いた自らの掌に目を遣った。

その時ニーニエルの空いていた左手がボロミアの方へ差し伸ばされて宙を泳ぐのが目に入り、ボロミアは思わず眺めていた自分の右手でニーニエルのその手を取った。

ボロミアと手を取り合う形になったニーニエルはいつもそうする様に、ボロミアの胸の辺りをじっと見詰めてゆっくりと口を開いた。

「ボロミア様のお手は、フィンドゥイラス様のお手ととてもよく似ていらっしゃいます」

「母上と?」

ボロミアの声のする辺りに顔を上げたニーニエルは、日の光に煌く透明な青い瞳をボロミアに向けた。

「小さな命を大切に慈しまれるとてもお優しいお手をなさっていらしゃいますもの」

そう言って微笑んだニーニエルのその笑顔は、ボロミアの心の内にしっかりと根を下ろし、その胸を温かく潤していった。

 

二人のその姿を、1000フィート程先から園庭を望んで廷臣達の館を囲む廻り回廊で、濃い栗色の艶やかな巻き毛を豪奢な縁どりの様にその華やかな美貌の周りに散らせた少女が、回廊に立ち並ぶ円柱の傍らに立ち、髪と同じ色の瞳に点した燃える様な眼差しで見詰めている事に、この時まだ誰も気付いていなかった。

 

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