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宿業 7

 

予算審議会は予定の刻限より半刻程早く終了した。

最初に会議室から出てきた重臣達は皆一様にげっそりと青ざめた顔で足早に関係各所に散って行った。

その後を追う様に出てきた改革派の文官達も困惑した様子で朋輩等と今後の対応を話し合いながら上官の元へと急いだ。

最後に会議室から出て来た執政家の兄弟だけが明るい表情で玄関広間へと続く廻廊を肩を並べて歩き始めた。

「そなたのお陰で議事が滞る事もなく、兵等にも良い土産が出来た」

兄がそう笑いかけて弟の肩に腕を回すと

「私もあの様に上手く話しが運ぶとは思いませんでした」

と心にもない言葉を口にしながら“兄”に笑顔を向けたその“弟”もさり気無さを装い、そっと“兄”の腰に手を回した。

 

半刻前、議場でファラミアが重臣達に疑義を質した一言から審議会の様相は一変した。

ファラミアは重臣達がのらりくらりと争議から逃げるのを許さず、尽くその尻尾を掴んでは抗弁の隙も与えぬ能弁ぶりで、次から次へと重臣達をねじ伏せ、武具の不当な価格操作を認めさせてしまった。

しかしそれに乗じ重臣等の不正蓄財まで追求しようとした改革派も返す刀で封じたファラミアは、改革派の文官達には武具の価格を詳細に調査し適性価を正確に把握する様水を向け、武具商と重臣達の間に楔を打ち込む様仕向けた。

これらの手管に由って、議会はファラミアの思惑通りその手の中で踊った。

巧妙に議会の主導権を握ったファラミアは西方派と改革派の双方を操り、武官側からの提案として品質に対する適性価を量る為、武具の評価会を開催する事を認めさせて議会を纏めた。

西方派の重臣達は当然不正の証拠隠しに走るであろうが、改革派の文官達も武具の適性価を把握しようとすれば武具制作に関わる費用を逐一調査するだけでも大仕事である。

重臣達の不正を暴く事に血道を上げている暇などない。

だが本来重臣達の不正などは、果たすべき職責を全うする中で何れ自ずと発覚するものなのだ。

本気で議会を浄化するのであれば改革派も己の本分を見失なってはならない。

 

「しかし武具の評価会とは実に良い案を思いついたものだ。

 このところ厳しい戦が続いておった故、兵等のよい気晴らしにもなろう。

 若い兵には武具の目利きが出来る機会は貴重だ。

 我が賢弟殿は誠に頼もしい」

ほくほくと相好を崩すボロミアの笑顔には、その笑顔を見る者を幸福な心持ちにさせずにはおかない強力な磁力がある。

ファラミアも無論その例に漏れず、釣り込まれる様に柔らかく微笑んだ。

 

ボロミアのこの笑顔を手に入れられるものならば、自分はどの様な悪逆非道な事でも平然とやってのけられるだろう、とファラミアはそう思う。

そう思わずにはいられない。

 

「それにしても、我が弟とはいえそなたには驚かされる」

「え?」

瞬間身を固くしたファラミアに

「そなたの聡き事は承知しておるつもりだったが、よくあの文官等の物言いを解する事が出来るものだ。

 私なぞ彼等の申しておる事の半分も理解出来なんだぞ」

のほほんとした口調でそう言うボロミアの表情に内心ほっと息を吐いたファラミアは

“それにしても”

と笑いを噛み殺す。

文官達の論議を理解しようとするボロミアの律儀さが可笑しく、つい頬が緩んでしまうのだ。

ファラミア自身は理解どころか文官達の論議など、半分以上は聞き流している。

それどころか初めから文官達の言葉を理解しようとする気さえない。

ボロミアの様に生粋の武人が用いる言葉には無駄な修飾も迂遠な表現も、ましてや話す相手の腹を探らねばならぬ二重話法もなく、概して武官の言葉は簡潔であり明瞭であり率直である。

それはボロミア自身の気質に添うものであり、武官として軍議の場に立つ際等には、その雄弁ぶりは充分に発揮されている。

しかしその弁舌の巧みさは文官達の物言いとは対極にあるのだ。

人の言葉尻を捉えて相手の腹の内を探る様な文官達の言葉がボロミアに理解出来ようはずもない。

斯く言うファラミアとて文官等の言を完全に理解して彼等の論を操っていた訳ではない。

だが美辞麗句で言葉を飾る事こそなくとも、ファラミアにとって迂遠な表現や二重話法は、好むと好まざるとに関わらず最も得手とするところである。

ファラミアは重臣達が口に出す言葉の方ではなく、専ら彼等の言動の中に見え隠れする腹の内を探り出す事で議会を掌握したのだ。

 

「論議の中身を理解出来ぬままでは、軍議で評価会の審議を図る際に骨が折れそうだ」

ボロミアのその言葉を耳に留めたファラミアは、ふと思いついて足を止め、半身を翻してボロミアに向き直った。

急にファラミアに立ち止まられた為体勢を崩したボロミアは、咄嗟に弟の肩に手をかけ、ファラミアは“兄”の腰を両手で支えた。

「どうした、急に立ち止まって」

そう言って笑うボロミアには、弟の肩に両手を掛け、その弟に両手で腰を支えられて向かい合っている、という状況が、一般的に言ってよい年をした男同士の兄弟で取るには、かなり不自然な体勢である、という自覚が、ない。

それを承知の上でファラミアはにこりと微笑む。

「よろしければ私が夜までに議事録をまとめておきましょう」

“兄”の腰から手を離さぬままファラミアはそう言った。

「よいのか?

 そうしてくれれば助かる」

弟の邪念など全く疑う由もないボロミアは、掛け値なしの笑顔をファラミアに向ける。

「ご都合がよろしい時に私の居室までお出で下さい。

 伺いを立てずとも」

そう言いつつ、寧ろ邪念の塊の様な“弟”は慎重にその指先に熱を込め、“兄”の腰を僅かに引き寄せた。

「何時でも夜は、兄上の為に明けておきましょう程に」

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