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宿業 2

 

ボロミアが白の塔の総大将となってから4年程の間、ファラミアはヘンネス・アンヌーンとミナス・ティリスとを行き来する日々の中に在って、周到に、巧妙に、兄であるボロミアとの関係を変容させていった。

 

 

ボロミアが総大将となる数年前より、ミナス・ティリスではゴンドールの行政を司る文官達が2派に分裂し、対立を深めていた。

西方派と呼ばれる旧来勢力はゴンドールでも有数の名家の当主達から成る代々要職に就く高位の重臣が大半を占めており、片や改革派と呼ばれたのは下級士族や武家の次男以下から登用された若い文史から成る新興勢力であった。

 

現執政デネソールの父・エクセリオンの治世、エクセリオンは広く人材を得る為、本来部屋住みの身として世に出る機会に恵まれぬ、家格の低い武家の次男以下に対して登用制を採り、才長けた武門の家の者に文官への道を開いた。

これに依り、長く家名の上に胡座をかき、その家名の齎す恩恵と安寧を貪ってきた高位にある重臣達の一部に綻びが生じた。

エクセリオン亡き後デネソールが執政になるとその傾向はより顕著となり、デネソールを父とも兄とも慕って深く敬愛し、若くして重臣として取り立てられたブランディア卿により、旧来勢力に対抗する改革派の派閥が組織された。

ブランディア卿の非業の死によって一時勢力を弱めた改革派は、しかし卿の死を無駄にすまいという同志等の強い意志と骨身を惜しまぬ勤行により、次第に西方派と拮抗する勢力へと成長していった。

これに対し西方派は、高位にある者ほど家督を次代に譲る事なく長くその官職に留まり、その結果派内の老齢化と硬直化が進み、組織の弱体を招いた。

 

そんな折ボロミアが白の塔の総大将に就任し、改革派の勢いはこれに依り一気に加速した。

 

ボロミアの総大将就任は白き都の兵と民とに、熱狂を以て迎えられた。

“嘗てこれ程民に愛された総大将はなかった”

都の長老を以てそう言わさしめる程、ボロミアは民に愛された。

 

ただでさえ、本来行政を支えるべき文官の長たる重臣達が政争に明け暮れ、私腹を肥やす事にのみ汲々とする姿に西方派への不信を募らせていた民の心は、彼等が“我等が総大将”と呼ぶボロミアに率いられ、身を呈して国を守る近衛等武官達に、急速に傾いていった。

民の信を失った文官達の権威は失墜し、それに反し民の支持を得た武官達は、よりその立場を尊重される事となった。

 

これは、文官ではあっても多く武家の次男以下から文史に登用され、近衛に籍を置く親類縁者と連携を図る事の出来る改革派にとって民から一定の信頼を得、支持を取り付ける恰好の好機となった。

しかし、代々文門の家系を継ぎ、武官との繋がりが極めて薄い高位の重臣達は民との距離も遠く、一度失った民の信を取り戻す事は出来なかった。

そしてその重臣達の私怨の矛先は、筋違いのボロミアへと向けられた。

 

ボロミアが総大将となって1年程の間、忸怩たる思いでボロミアを陥れる機会を伺っていた重臣達は、戦況が安定し都に小康状態が戻った機を捉え、世慣れぬ執政家の嫡男を行政の場に引きずり出して叩き潰そうとの策に打って出た。

世事に長けた執政デネソールが臨席する朝議や審問会、法務議会等を慎重に避け、国防の予算審議をその場に選んだ重臣達は、ボロミアに議会への出席を要請し、首尾よくボロミアから回答書を得た。

だが議会当日、手ぐすね引いて嫡男を待つ重臣達の前に現れたボロミアの傍らには、賢しさで知られる執政家の次男、ファラミアの姿があった。

 

 

ボロミアの総大将就任を機にゴンドールの正規軍を離れ、遊軍としてヘンネス・アンヌーンに常駐していたファラミアは、ミナス・ティリスから戻った部下の報告を耳にして微かに眉を顰めた。

 

ボロミアが総大将となった数ヶ月後、ファラミアは自らの心を欺き続ける限界を悟った。

真実血を分けた兄であるボロミアへの恋慕の情を自覚した時から、ファラミアはそれが身の内に留め置ける情愛である限り、その禁忌を胸に秘め、生涯ボロミアの弟としてのみの仮面を被って生きると自らに誓を立てていた。

しかしボロミアへの恋情は年降る毎にファラミアの身の内に降り積もり、何時しかそれは、激しくファラミアの身を焦がす情動を伴った熱となってファラミアを悩ませた。

その熱が臨界に達っした時、最早これ以上自らを欺き続ける事は出来ぬと、ファラミアは悟ったのだった。

限界を知ったファラミアは、自らに立てた誓を破り、禁忌の封を解く事を我が身に許した。

以来都への定例報告の度、都の動勢を詳細に調査報告する様言い含め、ファラミアは部下達をミナス・ティリスに送り出していた。

ボロミアの身を案じての事ではあったが、ファラミア自身は事の起こる気配のない限り、極力ミナス・ティリスへの帰投を避けた。

 

勿論ボロミアを求めて止まぬ飢えた情欲を自覚はしていたが、それ故ファラミアは己の行動に対して慎重になった。

思うに任せ熱情のまま都に戻り、想いを吐露してボロミアを求めたところで、ボロミアの目に映るファラミアは、未だ兄を恋しがる5歳の少年でしかないのだ。

ボロミアにとってファラミアが“守るべき弟”である限り。

それ故その時のファラミアには、正規軍に復帰しミナス・ティリスに戻る考えは微塵もなかった。

“ファラミアは既に守るべき弟ではない”

そうボロミアに知らしめる為には、顕著にそれが現れる時と場所を選び、折良くミナス・ティリスに戻って現にそれをボロミアの前で証明して見せるのが最も効果的である。

その機を逃さず捉える為、ファラミアは注意深く情報を収集し、細かく都の情勢に目を配った。

 

それ為ファラミアは、ミナス・ティリスから戻った部下の報告で西方派の重臣達が筋違いなボロミアへの意趣返しを画策している事を察し、僅かに眉を顰めたのだった。

薄々予測はしていた事態だった為驚きはなかったが、重臣達のあざといやり方はファラミアの怒気を呼んだ。

公の場でボロミアが古狸どもの餌食になるのを黙って見過ごす程、ファラミアは甘くはなかった。

重臣達がボロミアを議会の場に引っ張り出すなら国防予算の審議会辺りだろうと見当を付けたファラミアは、同時期に予定されている定例報告に合わせ、数ヶ月ぶりにミナス・ティリスへと向けヘンネス・アンヌーンを後にした。

 

 

白き都の第6階層で出迎えた馬丁に馬を預けたファラミアは、部下達に差し当たっての指示を出すと官邸のある第7階層へと向かった。

第7階層へ上がる通路の入口で呼び止められ振り返ったファラミアは、そこに幾分緊張した面持ちの数人の若い兵の顔を認めた。

「お久しゅうございます、ファラミア様」と堅苦しく挨拶する兵の声に、緊張だけではない義憤の響きが混ざるのを聞きとがめたファラミアは「何があった」と、眉を上げた。

互いの顔を見合わせ暫し言い淀んだ後、彼等の一人が「昨日の事ですが」と口火を切った。

 

明後日の審議会に先立ち、国防予算の事前審議を招集した西方派の重臣達は、ボロミアにその審議の傍聴を要請したという事だった。

重臣の一人が傍聴人であるボロミアに審議の場で発言を求め、ボロミアはささやかな疑問を口にしたのだが、重臣の公子に対する不遜な態度を見咎めた改革派の若い文史がそれに噛み付き、それを機に2派は議事そっちのけの口角泡を飛ばす水掛論争を展開した挙句、掴み合いにならんばかりの醜態を晒した為、議場は混乱し、収集がつかなくなったのだと言う。

 

“事前審議とは、小賢しい狒々爺め等が“

内心臍を噛む思いで舌打ちしたファラミアだったが、しかしそれを噯にも出す事なく、兵等の前では静かに小さな溜息だけを吐いて見せた。

「その様な事があったとは。

 兄上もさぞお心を痛めておられるだろう」

ファラミアの言葉に、兵の一人が悔しさを滲ませた声で言った。

「それはもう…。

 ご自分のせいで議場を混乱させたとおっしゃって…」

“議場など何時も混乱しているのだ。

 断じてボロミアが責めを負う様な事ではない“

その兵の言葉に別の兵が憤慨した様子で声を荒らげた。

「ボロミア様に責などありませぬ!

 大体文官方の使われるお言葉は、我々武官には意味不明で何を仰っているのかさっぱり訳が分からぬのです」

“当然だ。

 彼等は民等に分からぬ様、敢えて理解出来ぬ言葉を複雑に言い回しているのだから“

更にもう一人の兵は怒りを押し殺した表情で言い募った。

「そもそも正式な手続きも踏まぬ呼び出しで、応じずともよかったのです。

 それでもボロミア様は重臣方の体面を慮ってご出席なさったというのに、そのお気持ちを無下に踏み躙るなど…」

“然様、全く度し難い。

 ますます以てボロミアを、あの様な古狸等の前に一人立たせる訳には参らぬ“

思わず眉間に皺を寄せたファラミアに、兵の一人が遠慮がちな声を掛けた。

「ファラミア様」

我に返ったファラミアが、いつも通りの柔和な笑顔を取り繕い「何か?」と問うと、兵達は互いの顔を見合わせて頷きあい、真摯な眼差しをファラミアに向けた。

「ファラミア様が丁度この時に折良く都にお戻りになられたのは天の配剤と存じます。

 議会の場では我等武官はボロミア様とご一緒する訳にも参りません。

 どうかファラミア様、我等が総大将を、重臣の方々よりお守り下さい」

「そなたら…」

ファラミアを見詰める兵達の真摯な眼差しに、青い目の公子は作りものではない笑顔を返した。

「そなたらの気持ち、然と受け取った。

 私の出来うる限り、力を尽くして兄上をお守りしよう」

“それこそまさしく私の望みだ。

 見ているがよい。

 ボロミアを嬲りものにしようなど画策した者がどの様な憂き目に遭うか、たっぷり思い知らせてくれよう“

 

明るく顔を輝かせ、足取り軽く兵舎に戻る若い兵達の中には誰一人、気付く者は、なかった。

ファラミアの口元に、薄い刃の様な怜悧な笑みが浮かんでいた事に。

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