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初陣(前編) 2

 

瓦礫に挟まれていたファラミアの足は内出血こそしていたものの、幸い重症に至る程ではなく、医師たちは口を揃えて「頑強なる西方の血」の成せる技かと賛嘆した。

 

むしろ思わしくなかったのはボロミアの方であった。

 

ファラミアから主を託されたトゥーリンが主の愛馬を駆り、ローハンの馬を以てしてもかくやとばかりにミナス・ティリスに到着した時、主はすでに意識を失っていた。

そのまま療病院に運び込まれたボロミアは、オークの矢に仕込まれた毒による熱と、その毒の齎した失血に依る衰弱で、3日3晩生死の境を彷徨った。

 

兄より半日遅れてミナス・ティリスに到着したファラミアは、自身の怪我の手当てどころではなく、兄に付き添わせて欲しいと泣いて懇願したが、父・デネソールはそれを許さなかった。

 

居室から出る事さえ許されなかったファラミアは、3日3晩まんじりともせず、食事もろくに摂らずにいたが、兄が一命を取り留めたと聞くや、その場で意識を失った。

 

 

「ファラミア様が?

 お倒れになったの?」

モルウェンは洗濯をする手を止めて、おしゃべりに熱中している女官達の一人に思わずそう尋ねた。

普段女官達のおしゃべりに加わらないモルウェンに多少の戸惑いを見せながらも、話し好きのその女官は喜々として話しだした。

「そうなのよ、ボロミア様が一命を取り留められたってお聞きになったとたん、その場でお倒れになったんですって。

 いかにもファラミア様らしいわよねえ」

「ファラミア様…らしい?」

怪訝そうに小首を傾げるモルウェンに

「あら、あなたファラミア様を見た事ないの?」

とその女官は尋ねた。

「え?ええ…まあ…」

言葉を濁すモルウェンに彼女は微かな優越感を見せて言った。

「そりゃあね、まあ、あなたは城中に上がって間がないし。

 女官といっても私達の様な下働きの者が簡単にお目に掛かれる様なお方じゃないから。

 でも、あなたもファラミア様を一目見れば分かるわよ。

 たまに城中でお見かけするファラミア様って、そりゃあお優しそうなお方なんですもの。

 お兄様をご心配なさる余りお倒れになるなんて、いかにもファラミア様らしいわ」

その女官の言葉は途中からモルウェンの耳には入っていなかった。

 

彼女はファラミアがオスギリアスに出陣する数日前の、15になったばかりのファラミアの姿を脳裏に思い浮かべていた。

 

 

夫を戦で失ったのは1年程前だった。

城の近衛などではなく町の鍛冶屋であった夫は予備役の志願兵だった為、戦死に対して恩給が下りるわけでもなく、女の身で鍛冶屋を続ける事も出来ず、幼い息子と娘を抱えたモルウェンは夫の死を嘆くより、これからの生活を思って途方に暮れていた。

夫を厭うていたわけではもちろんないが、物語や詩に歌われる様な恋物語は、結局は物語や詩の中にしかなく、市井の暮らしの中にはないのだった。

 

とは言え、モルウェンにも恋した相手がいないわけではなかった。

だがその相手は近衛の兵として一部隊を率いる身分の人だった。

初めから望みのない恋は彼女の口の端に上る事すらなく、彼女はその心の内に初めての恋を深く沈み込ませたのだった。

丁度その頃世話をする人があり、モルウェンは亡くなった夫と知り合った。

互いに両親を早くに亡くしている事や、無口で無駄話をしないところが好もしく、これも縁だと思い、彼女は請われるままその人の妻となった。

 

夫は実直で勤勉であり、誠実だった。

 

普段無口であまり自分の事を話さない夫が予備役の志願兵になると言い出した時には驚いたが、夫が言うには執政の大侯様のお役に立ちたいというのが理由だった。

モルウェンは夫のその言葉を訝しんだ。

城下でも絶大な人気を誇る執政家の嫡男に対し、大侯様と言えば、誰もが知る恐ろしいお方という噂で名高かったからだ。

 

しかし夫が言うには、やはり予備役の志願兵だった夫の父親が若かりし頃の大侯様を敵から庇った怪我が元で亡くなった時、夜更けた城下に人知れず大侯自ら足を運び、夫の亡くなった母親に悔みと礼を言い、その後夫が成人するまでの間、他言を禁じ、密かに夫の生計を支えてくれたのだという。

それ故その後すぐ母まで亡くした自分が生きてこられたのだと夫は言った。

 

その時は俄かには信じ難かったモルウェンだが、夫が亡くなった数日後、夫の言葉が真実であった事を、身を持って知る事となった。

夫が亡くなって数日後城中から使いの者があり、モルウェンに女官として城中に上がる様にと告げたのである。

 

もちろん女官とは言っても身分高き方のお側使えをする様な訳にはゆかないが、城中に上がれば下働きにでも俸禄は下される。

贅沢さえしなければ親子3人が暮らしていく事は出来るだろう。

 

モルウェンは帰ってゆく使者の背を見送り、エクセリオンの白き塔に向かい手を合わせていた。

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