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「大剣委譲」のこと

“大剣へレク”はゴンドール王家に伝わる、王の権能を示す家伝の一つである。

その大剣をゴンドール第25代の王・ミナルディルが側近であるフーリン・ファエラドールに譲り渡したことにより、ゴンドールに執政が誕生した。

それは同時に後世“改革王”“中興の祖”と呼ばれた名にし負う王がゴンドールに誕生した瞬間でもあった。

ミナルディルがフーリン・ファエラドールに大剣へレクを譲り渡した「大剣委譲の儀」は今尚数多くの歌に歌われ、高名な宮廷画の題材になっている。

しかし大剣が王から執政に委譲されるに至った経緯については多くの謎が明かされぬまま真相は今も尚藪の中である。

それ故「大剣委譲の儀」とそれに纏わる逸話は、ゴンドールの正史に於いて最も名高く最も気高く、そして最も謎に包まれた悲劇として今も絶える事無くゴンドールの民の間に語り継がれる物語となっている。

 

ミナルディルが王位継承権第三位の公子であった頃、王宮内ではこの公子が玉座に就く事はないであろうと思われていた。

ミナルディルはその気楽さからか、王宮内で姿を見る事さえ稀なほど、常に国の内外を飛び回り、気紛れに王宮に現れては思い設けぬ突飛な発言で場を驚かせた。

その為もありミナルディルは、王の三人の息子の中で最も父の期待が薄い公子と言われていたのだが、王宮内の評判とは裏腹に、民の間では絶大な人気を誇っていた。

民に愛されたミナルディルはその自由闊達な気性がしばしば大空を渡る鳥に例えられたが、その際決まって公子の両翼と謳われたのが公子と同年である若き海軍長官ブロンウェと、その二人より更に若年ながら公子の側近として重用されたエミン・アルネンのフーリン・ファエラドールであった。

この三者には天の配剤ともいうべき組み合わせの妙があり、互いに固い盟友関係で結ばれていたのだが、その気質や容貌は三者三様、それぞれ全く似通ったところがなかった。

三者が揃うとまず最初に目を惹くのはミナルディルであった。

抜きん出て背が高く、常に周囲の者から頭一つは抜け出していたミナルディルは、何処にいてもすぐ目に付いた。

その上浅黒く日焼けした肌に緩く波打つ豊かな黒髪、明るい灰青色の瞳を持つなかなかの美男子だったミナルディルは、社交性に富む陽気で大らかな気質で、周りの者、特に御婦人方の人気を大いに集めた。

また公子自身も大いに女性を好む性質に加え、女性の扱いにも長けていた為、五人の正嫡以外に認知されただけで三人の愛人に五人の庶子を儲けている。

その公子に対し、同年のブロンウェは寡黙で実直、質実剛健な無骨者であったと言う。

当時のゴンドール人の平均からいえばやや小柄ながらもがっちりと引き締まった体躯を持ち、海将らしく海焼けした小麦色の肌に夏の日差しを思わせる琥珀色の瞳、癖が強く濃い金茶の巻き毛を短く切り揃えた精悍な顔立ちで、強面ながらなかなかの男前であったようだ。

但しこちらは御婦人方の噂の的になる事はなく、寧ろ軍部の兵から絶大な人気を博した。

新兵入隊時には、ブロンウェの旗下に入隊を希望する海士が列を為したという伝説さえ残っている。

しかし何と言っても容姿の点では“フェア・メイル・フーリン”の愛称が名高いフーリン・ファエラドールである。

ミナルディルまでとはいかないまでも、すらりと丈高く“フェア・メイル・フーリン”の名に違わぬ透ける様な白い肌に星を宿したと評される灰色の瞳、絹糸の如き艶やかな漆黒の髪が肩に流れる様は男女の別なく憧憬の的であった。

のみならず高潔にして温厚篤実、物腰柔らかく思慮深い人柄は幅広い人望を集めた。

斯くも三者三様でありながら、この三者は信義真に厚く、当時王宮内に蔓延っていた腐敗の闇を払うべく、臆する事無く高位高官諸卿を糾弾した。

彼等のその同盟関係は王宮の浄化を望む者等にとって一条の光ともなっていた。

しかし決して揺らぐ事はないと思われていたこの盟友関係は、兄王二人の相次ぐ急逝に因り、思いがけずミナルディルが玉座に就いた直後、予期せぬ終焉を迎えたのである。

ミナルディルが戴冠する直前、ブロンウェに時の王に対する大逆罪に問われたのである。

“海軍長官に於いては王に叛意の疑いあり”

そう上訴したのはミナルディルにとって義理の父に当たる当時の蔵相であった。

元々は近在の小領主に過ぎなかったこの人物は、所領地で偶然発見された金鉱脈に依ってその地位を得たと言われ、評判は甚だ芳しくなかった。

当時の王家は蔵相の持つその金鉱脈に屈した。

蔵相の娘二人を次男と三男の妻に定め、蔵相に外戚という立場を与えたのである。

ミナルディルは妃と不仲という訳ではなかったが、かといって義父であるこの蔵相に気を許してもいなかった。

その蔵相の訴えるところに依れば、玉璽が捺された認可状を携え、婚姻の許可を得る為公邸にブロンウェの妹を訪ねた彼の嫡男を、ブロンウェはその認可状諸共斬り捨てた、というのである。

当時のゴンドールに於いて、婚姻とは今日以上に政略である。

ミナルディルが執政を置く以前のゴンドールでは絶対王政を敷いており、婚姻の認可は王の専権事項の一つとなっていた。

それ故正式に王の認可を受けた婚姻の申し入れとは、拒む拒まぬという類のものではない。

それは即ち臣下として従うべき主君の下命なのである。

その王命である事を示す玉璽が捺された認可状を持つ者に刃を向けたとなれば、王への反意を疑われ、大逆罪を問われる事も止む無しと言える。

蔵相の訴えは道理であり、ブロンウェの罪は明白なのである。

にも拘らず、その凶事の真相は今尚謎に包まれている。

そもそもブロンウェの妹・メルニーアは、その婚姻がまだ王に申請されてもおらぬ噂にしか過ぎなかった頃から、頑ななまでにこの婚姻を拒んでいた。

確かに蔵相の嫡男は、父親同様決して評判の良い人物ではなかった。

だが名のある家に生まれた娘にとって婚姻とは元来個人の感情に帰属するものではない。

況してや評判の美女というだけでなく、心優しく慎ましやかな人柄でも広く知られていたメルニーアは、三人の兄以上に家名を重んじる女性だったのである。

その様な妹が、如何に相手の人品骨柄が卑しかろうと、唯それだけの理由で王の下命である婚姻を拒むとは、ブロンウェにはどうしても思われなかった。

真の理由があるものと考え、ブロンウェは再三再四その訳を話す様妹を諭したが、メルニーアは頑としてその訳を語らず、唯神殿に仕える巫女になりたいと泣くばかりであった。

ブロンウェが妹の先行きを案じ苦慮していたその一方で、ミナルディルは蔵相の婚姻申請を認めぬ様兄王を説き伏せていた。

それと共にミナルディルは、隠密の内にメルニーアが婚姻を拒む真の訳を探り出す様密命を託し、腹心であるフーリン・ファエラドールを彼女が兄達と離れて幼少期を過ごしたロスサールナッハに送り出していた。

それは巫女になりたいというメルニーアの願いが聞き届けられないであろうという事がミナルディルには容易に想像出来たからである。

絶対王政下の王宮内では、覇権を競う諸家にとって婚姻が政略であるのと同様に、その諸家を掌握するべき立場にある王家にとっても、臣下である諸家の勢力図を書き換える為の手駒である。

駒の数は多いほど良い。

名のある家の娘に、生涯独身の誓いを立てる巫女などになられては貴重な手駒を失う事になる。

それは諸家にとっても王家にとっても同じく益が無い。

それ故名のある家の娘が巫女になる事も、婚姻の認可同様王の専権事項であり、そして婚姻同様その認可に娘の心情が考慮される事はないのである。

理不尽だと憤ったところで、その当時王位に就く事を想定されていなかったミナルディルには、精々盟友の妹を護る為、出来る限りの手を尽くす事しか出来なかったのだった。

しかしその努力も空しく、事は起きた。

 

その日、王都は一種の空白状態にあった。

 

その半月程前、ロスサールナッハで内偵中であったファエラドールから、メルニーアが婚姻を拒む真の訳を知るかもしれぬという人物の有力な情報を得たとの知らせが王都に入ったのと時を同じくして、エミン・アルネンの領主である彼の父が領内視察中に重傷を負う事故に遭った。

ファエラドールは父の名代を務める為、エミン・ウィアルへの一時帰郷を余儀なくされ、彼の得た情報はブロンウェに引き継がれた。

御前会議の参議でもあるブロンウェ自身がロスサールナッハに出向く為に、王都を離れる手筈を整えていた時今度は時の王が流行病に倒れた。

その為王都の内に禁足令が敷かれブロンウェの出立は遅れた。

幸い王の病は重篤ではなかったが北イシリエンの別邸で療養するものとし、王不在のオスギリアスは王弟であるミナルディルが預かる事となった。

北イシリエンに王が発ち、王都の禁足令が解かれた後ブロンウェはロスサールナッハに出立したが、その直後、北イシリエンに到着した王の容態が急変した。

北イシリエンからすぐさま急使が送られ、知らせを受けたミナルディルは北イシリエンに急行する事となった。

出発の際ミナルディルはロスサールナッハのブロンウェに急ぎ王都に戻る様使者を送ったが、時既に遅かった。

北イシリエンに向かったミナルディルと入れ違う様に、病床の王に依って玉璽が捺されたという婚姻の認可状が王都に届けられたのである。

王も王弟も不在の王都を預かっていたのは御前会議の参議達であり、その長は蔵相だった。

 

事が起きた時、異変に気付き公邸の客間にに飛び込んだブロンウェの家中の者がそこに見たのは、仰向けに倒れ、肩から腹に掛け一太刀に斬り捨てられて絶命した蔵相の嫡男と、その横に転がった血刀の傍らで、亡き母の形見である懐剣を胸に突き立ててこと切れた妹の亡骸を抱き締め、咽び泣く彼らの当主の姿であった。

 

捕らえられ投獄されたブロンウェの許にミナルディルが駆け付けたのはその三日後である。

北イシリエンで兄王の臨終に立ち会い、その場で戴冠して王となりオスギリアスに戻ったミナルディルは、別人の様に窶れ果て憔悴しきった友の姿を目にして絶句したという。

事の重大さにエミン・ウィアルからファエラドールが呼び戻され、直ちに御前会議で罪状の審議が諮られたが、審議の場は荒れた。

王都の内にブロンウェの叛意を疑う者などなく、ブロンウェの助命を求める民等の声は大きかったが、王の勅書を手にした蔵相の嫡男をブロンウェが斬り殺した事実が明白な上、当のブロンウェ本人が

「我に叛意なし」

と言う以外、頑として事の真相を語ろうとせず一切の申し開きをしなかった為、弾劾派と助命派の主張が平行線を辿り、数日にも渡る論議でも結論が出ず、最終的な判断は王に依る“大剣の聖断”に委ねられる事となった。

 

“大剣の聖断”とは大逆の罪を犯した者に王自身が下す裁定をいう。

絶対王政下に於いて王とは行政官であり軍司令であり、そして判官の長である。

首切りの大剣“へレク”は、王がその司法の長たる権能を有している事を世に示す家伝の宝器の一つなのだが、通常の審判にその大剣が用いられる事はない。

王、もしくは王家に対する大逆を問われた者にのみ、王自身が自らの手でその罪を断じる為に鍛えられた首切りの大剣なのだ。

罪を問われた者の心の内にのみ存在する大逆の罪を、御前会議が物証によって証立てる事が出来ず、その罪に対する審判を下せないのであれば、王自らが罪問う者の心の内に分け入り、罪過の有無を裁定せぜるを得ない。

しかしゴンドールに住まうヌメノール人の中で最も濃く西方の血を継ぎ“視る眼”と“聴く耳”を持つ王であっても、罪問う者の心の内に分け入り、身の内にある罪過を視、隠された声を聴く事は、それ程容易な事ではない。

罪の重さに比し、人はより深くそれを心の内に隠そうとする。

身の内深く隠されたその罪過の真偽を、一瞬のうちに過たず見透かす事など不可能なのだ。

数時間、場合によっては数日を費やし、王は罪問う者の閉じた心をこじ開け、或いは抗う心をねじ伏せて、彼等が封じ込めた罪を暴き出さねばならない。

それが心身共にどれ程の負担を王に強いるものかは計り知れないが、心の内を暴き出される側の負担は更に苛烈である。

罪を問われた者の中には聖断が下される前に自害する者や、正気を失う者もある。

その苦痛に耐え身の潔白を証立てた廷臣もないではないが、歴史に賢臣として名を残す彼らは、総じて聖断の後長くは生きなかった。

御前会議はその聖断をミナルディルに迫ったのである。

ミナルディルは寧ろ「予がブロンウェの無実を証立てて見せる」と息巻いたが、ファエラドールは事の成り行きを危ぶんだ。

高潔さで知られるファエラドールが矜持を曲げ牢番に賂を渡し、危険を承知の上で獄中のブロンウェを密かに訪ねた。

その時獄中でどの様な会話が交わされたのかは今以て明かされてはいない。

しかし“獄中の惜別”と呼ばれるその対面の後、王の聖断が下るまでの三日間、ファエラドールは自室から一歩も出る事無く深く思い悩んだという。

聖断が決するのは速かった。

王の前に引き出されたブロンウェの、真っ直ぐに面を上げた琥珀色の瞳を覗き込んだ王の顔からはみるみる血の気が失せ、半刻後、蒼白になって玉座から立ち上がったミナルディルは、ブロンウェに向かって一歩踏み出した途端、その場で膝からがくりと崩れ落ちたという。

「我が胸中に叛意なし。

 されど我が血に罪あり。

 故に我、この首を以て

 我が忠節を大君に捧げ奉らん」

その時玉座の間にブロンウェの声がそう朗々と響き渡り、居並ぶ諸卿がそこに見たのは、深く王に拝礼する若き海軍長官の姿だった。

その夜、苦悩し憔悴しきった王の許を訪ねたファエラドールは、僅かの間にげっそりと頬の肉が削げ、十も齢を取った様な王の手を取り

「どうかそのお苦しみを我に与え賜へ」

と、涙したという。

翌日ブロンウェを断罪する刑場に大剣へレクを携える事無く姿を現したミナルディルが、開口一番大音声で

「予の目は我が友の心中に逆心なきを視、予の耳は我が友の衷心からの声を聴いた」

そう刑場の外を埋め尽くした民に告げた時、民の間からは、地を揺るがす程の大歓声が沸き起こった。

しかし続く王の言葉にその大歓声は一瞬で凍り付いた。

「されど予は我が友の内に断ぜざるを得ぬ罪を視、告解の声を聴いた。

 逆心なくとも断ずべき罪はある。

 …罪は…ある。

 だが…予は王に逆心なき臣下を裁く手を持たぬ。

 故に予は、我が裁きの手を予のファエラドールに託さんものとす」

最後は絞り出す様にそう言ったミナルディルの後ろから、黒き大剣へレクを携え全身黒装束に身を包んだファエラドールが現れると、刑場全体が息を飲んだ。

静まり返った刑場の中を音もなくブロンウェに歩み寄ったファエラドールの血の気の引いた悲壮な美貌は寧ろ一層その痛ましさを際立たせてさえいたという。

涙ながらに大剣へレクを振り上げたその年若い友を見上げて微笑んだブロンウェが「頼む」と目を閉じた瞬間「御免!」という悲痛な声と共に大剣が振り下ろされ、刑場を取り囲んだ民の悲鳴が地鳴りの様に刑場全体を押し包んだ。

悲鳴はやがて啜り泣きに変わり、それは夜が更けるまで止む事無く刑場の周りに響き続けた。

 

三日後、蔵相が公邸で不審な死を遂げた。

しかしその死の真相については今も藪の中である。

その二日後にはゴンドールに執政を置く事が御前会議で決せられ、王命に依り初代執政にファエラドールが任ぜられた。

そして十日後、王宮玉座の間では王が大剣へレクを執政に譲り渡し、判官としての権能を執政に委譲する意を示す“大剣委譲の儀”が大々的に執り行われた。

その場でミナルディルは、王であろうと民であろうと法の下では平等であると宣し、御前会議に因る絶対王政を撤廃した。

後日蔵相の次女であった王妃は余生をイルーヴァタールへの祈りに捧げたいと王に申し出、王はその願いを聞き入れた。

王都の外にひっそりと建つ小さな神殿の内に身を寄せた王妃はその後王宮に戻る事はなかったという。

王妃が王宮を辞した後、色好みで知られた王は、しかし王妃の去った後の褥を別の婦人で温める事は無く、決して長くはなかったその後の治世を、執政フーリン・ファエラドールと共に婚姻制度を始めとする数々の法制改革と行政組織の刷新、絶対王政に代わる三権分立の基を築き、名にし負う王としてゴンドールの歴史にその名を刻んだのである。

ゴンドールの長い歴史の中で王と執政が共に並び立った時期は全体から見れば僅かに数世代のみの事である。

にも関わらず今でもゴンドールでは、王と執政と言えば“連理の枝”とも“比翼の鳥”とも言われる深い結び付きを誰もが口にする。

ゴンドールの人間にとって執政とは“王の手”であり、王と心分かつ者なのである。

そしてその原点は“大剣委譲の儀”に際し、ミナルディルが民等の前で宣した詔に根差しているのである。

曰く。

「今この時より裁きを下す王の手は我が執政の手に委ねられ、予と執政は一つの手を分かつ者となる。

 故にこれより後、ゴンドールの王は唯一人の身に非ず。

 予のファエラドールは終生予と共に在り、予が進むべき正しき道を照らし出す法の光の投げ手とならん。

 予にファエラドール在る限り、このゴンドールに二度と再び正しき者の血が流れる事はないであろう。

 予は我が民に誓う。

 予と予の執政は心を一にし、正しく国を導かんが為、共にこの身を祖国に捧げん事を」

 

 

 

 

 

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