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名にし負う、王と呼ばるる3 –王都(後編)-

 

ミナス・ティリスの忘れ去られた広大な書庫は、白き都の地下層にあった。

 

カリメフタール王の代、白き都の第7階層に白の塔が築かれた際、第7階層から第6階層に掛けての地階層に、食糧庫や宝物庫等と共に書庫も設けられ、使用頻度の高い書物や巻物類等は地下層の書庫からその地階層の書庫に移された。

白の塔の地階層に設けられた書庫も、書庫としては十二分に広大であった為、以後地下層に書物を運ぶ手間を惜しんだ文官達に依って、書籍類は徐々に白の塔の地階層にのみ集められる事をなり、地下層の書庫はいつしかミナス・ティリスの広大な書庫と言えば誰しもが白の塔の地階層に在るそれを指し、訪れる者の途絶えた地下層の古き書庫の存在は忘れ去られた。

 

しかし忘れ去られたとは言え、地下層のその書庫が無くなった訳ではない。

少数ではあってもその存在を知る者がないではないのだ。

例えばゴンドールの執政家である。

執政家では代々後継となる男子にその存在が伝えられてきた。

現執政エクセリオン2世も、彼の嫡男デネソールもその存在を知っている。

数少ない内のひとりにはゴンドールの鍵鑰主管長も含まれるのだが、ソロンギルにとってより重要なのはその中に“灰色のガンダルフ”も含まれる事の方だった。

聡明さで知られるエクセリオンは賢者であるガンダルフから知見を得る事に吝かではない為、魔法使いはしばしば賓客として白き都に逗留を許されていた。

ソロンギルがガンダルフと旧知の仲である事は、ローハンからゴンドールに籍を移す際既に知られていた為、ソロンギルは魔法使いがミナス・ティリスを訪れた時を見計らい、何気ない好奇心を装い、忘れられた書庫の場所を確かめていた。

キーアダンから伝えらたエアルヌアの言葉にある“智の庭”とは書庫の事だろうとソロンギルは推測していたのだが、白の塔の地階層に在る書庫の内にはその後の言葉に示された王家の秘所に通じる門らしき場所は見出せなかった。

そんな折、ミナス・ティリスを訪れた魔法使いの口から忘れられた書庫の存在を漏れ聞いたソロンギルは“なるほど”と合点した。

王都をオスギリアスからミナス・ティリスに移した王はカリメフタールより3代遡ったタロンドールである。

その際オスギリアスからゴンドールの長い歴史の内に収集された膨大な蔵書をミナス・ティリスに移す為、書庫も併せて造られたであろう事は明らかだ。

そうであれば王家の隠された秘所を書庫と同時に造らせていたとしても何の不思議もない。

 

手にした蛇の鍵をしげしげと眺め、ソロンギルは忘れられた書庫の内にエアルヌアが示した王家の秘所が在るであろう事を確信した。

問題はいかに人知れずその書庫に忍び込むかという方策だった。

“ガンダルフから聞き知ったその書庫を見てみたい”とでもエクセリオンに頼めば書庫に入る事は然程難しくはないだろう。

ゴンドールの鍵鑰主管長はその書庫の鍵を預かっているはずなのだ。

だがソロンギルは万が一にも王家の秘所に立ち入るところを人に見られたくはなかった。

そして書庫の存在を知る数少ない内のひとりはデネソールなのである。

“いずれ王位を簒奪する者”

ソロンギルは自らそう呼ぶ。

そして彼は未だ胸中で自身がその“王位簒奪者”になる事を納得してはいない。

そうである以上、実質上南方王国の為政者である執政家の者に王家との関りは決して知られたくはない。

殊にデネソールは、口性ない重臣達に陰で“書痴”と呼ばれる程の本の虫なのである。

彼であれば忘れられた書庫にでも足を運んで古書を紐解くであろう確率は高い。

デネソールと顔を遭わせかねない危険は避けるに然るべきであろう。

蛇の鍵を革袋に仕舞い込み、ソロンギルは“人望篤い客将”の仮面を付け直した。

 

堅物ではあっても酒好きの鍵鑰主管長と親しくなるのは然程難しい事ではなかった。

ソロンギルは主管長が管理する鍵束の中から書庫の鍵を探り出し、主管長に酒の飲み比べを持ちかけて彼を酔い潰させた。

安いエールで鍛えたソロンギルにとって上等な葡萄酒の味しか知らぬ主管長は相手ではない。

酔い潰れた主管長が持つ鍵束から書庫の鍵を抜き出したソロンギルは、隠し持った粘土に素早く鍵を押し付けて型を取り、まんまと合鍵を作る事に成功した。

 

後日、月の無い夜半過ぎ、手にしたランプに灯もつけず、闇に紛れて第1階層に足を運んだソロンギルは、ミンドルルイン山を背にした袋小路に設けられた、一見山肌に彫られた飾り扉の様にも見える扉の鍵穴に、作った合鍵を差し込んだ。

 

書庫の内に入り、ぴたりと扉を閉ざしてから漸くランプに火を入れたソロンギルは、幅広い階段を地下層へと下って行った。

 

最後の段差を降りきった時、そこに開けた書庫全体を目の当たりにしたソロンギルはその広大さに息を飲んだ。

それは白の塔の地階層に在る書庫とは比較にならぬ程、遥かに雄大な書籍の海だった。

ランプの灯が届かぬ隅々までも想像を絶する量で埋め尽くしたその書籍類は、到底分類も整理も追いついているとは言い難く、王都の内にこの収蔵物の全容を把握している者があるまいという事は明白だった。

その書籍の山を搔き分ける様にして進みながら、ソロンギルが紙片に埋もれた壁面に、蛇を模った黒光りする木彫を見出したのは、書庫に足を踏み入れてから、一刻以上が経った頃だった。

複雑な蔦模様の中に、目線の高さで左向きに尾をくねらせて立ち上がった形の図柄で浮彫りにされた1匹の蛇。

よく見ればその首元には装飾された鍵穴が見出せる。

その鍵穴に蛇の鍵を差し込み、左に回すと微かな“カチリ”という音と共に木彫の蛇頭が下に向き、壁の一部がゆっくりと内側に動いた。

“隠し扉、という訳か”

そう胸中でひとりごちたソロンギルが押し開けた扉の内から、更に地下層へと続く細い階段の奥に、2匹目の蛇が彼の訪れを待っていた。

頭部を下に、くねらせた尾を上げて右を向くその蛇の首元には、最初の蛇と同様の鍵穴があった。

その鍵穴に鍵を差し込み右に回すと蛇頭が上に回り、やはり最初と同様の隠し扉が現れる。

その先で三度待つ蛇は、ソロンギルの持つ鍵と同じ互いの尾を咬み絡まり合う図柄で彫られており、その絡まり合う胴の中心に鍵を差し一回転させると、絡まり合う2匹の蛇を断ち割る様に、軋みを上げて両開きのその扉が開いた。

扉の内に現れた、小作りながら壁面全てを造り付けの書架にし、贅を尽くした設えの図書室は、しかし久しく人の訪れた気配の無い重い静寂に包まれていた。

ソロンギルは厚く埃の積もった机の上に手にしたランプを置くと、不思議な心持ちでその部屋をぐるりと一渡り見回した。

三重の扉に謎を掛けてまで秘匿しなければならぬ王家の秘所、とは、その部屋はソロンギルの目には映らなかった。

収蔵されている書籍は書架の半分にも満たず、空いた書架に文箱なども置かれているところから見て、この部屋が王家の個人的な文書類を収めた図書室だとは察せられた。

王家の記録は勿論公文書として書庫にも保管はしてあるが、歴史とは当然公に知られた記録に依ってのみ造られるものではない。

公に出来ぬ記録というものは勿論、ある。

この部屋がその、公に出来ぬ王家の記録を保管する為に造られた部屋だとするならば、ゴンドールの歴史に照らして考えるに、あまりに収蔵物が少な過ぎる。

ともあれソロンギルは、椅子の上の埃を払い、一番手近にあった棚から革表紙の日誌を1冊取り出した。

 

ランプの灯油が残り少なくなった事を示す様に炎がちらちらと揺れる中、激しい徒労感と共にソロンギルは日誌を閉じた。

南方に足を踏み入れてから幾度も、ソロンギルは“大剣委譲”の悲劇を歌う吟遊詩人の歌を耳にしていた。

日誌はまさしくその歌に歌われたミナルディル王が、側近であったフーリンに、法官の証である首斬りの大剣へレクを委譲し、彼をゴンドール初の執政に任じた頃の事を書いている。

しかしその内容は、歌に歌われたものとは大きく印象が異なっていた。

“確かに妻が親友と想い合う仲だったと知れば好い気はせぬだろうが…”

そうは思ったものの、その妻と親友は互いの想いを口にも出してはおらぬのである。

“密通どころか不義にすらならぬだろう”

其れのどこに罪が有るのか、ソロンギルには全く解せない。

第一その妻を政略結婚で娶ったミナルディル自身、幾人もの愛人を持ち、更にはその愛人達に庶子まで儲けさせているのだ。

それ程嘆く事でもあるまい、とソロンギルなどは思うのだが、どうにも上古の王にとってはそういうものではないらしい。

憔悴する王の手を取る側近に慰みを求めた上、後日その側近と共謀して妻の父である重臣を謀殺しているのである。

そしてその謀議は閨房の寝物語だ。

それもその時は拒む執政に無理を強いて褥に組み伏せているのである。

“如何に絶世の美形であろう相手は男ではないか”

そう思うとソロンギルの表情はつい険しくなる。

特段男色を毛嫌いしているという訳ではなかったが、ソロンギル自身は生粋の女好きである。

娼館などでも見目麗しい男娼と醜女の年増女しかいなければ、ソロンギルは迷う事無く年増を選ぶ。

そのソロンギルにしてみれば、ミナルディルの心情は全く以て理解の外にある。

唯。

“確かにこれは、決して表に出せぬ王家の恥部であり暗部である闇の記録ではあろう”

とだけは理解出来る。

すっかり気力の萎えたソロンギルは日誌を書架に戻すと、残り少ない灯油で炎の小さくなったランプを持ち上げ、その部屋を後にした。

 

しかしその部屋の存在は指先に刺さった小さな棘の様に、ソロンギルの内から消えやらず残った。

国の歴史が長ければ長い程、華やかな表の正史に対する歴史の闇は深くなる。

とは言え影在りてこそ光はもまた在る以上、表に出せぬその闇の歴史を護る為王家があの部屋を造ったのであれば、エアルヌアまで33代を数える王の記録を収蔵するには部屋の規模が明らかに小さ過ぎる。

そして何よりソロンギルが気に掛かったのは、エアルヌアが先を見通す超常の力に依って彼の意に通ず者として“ソロンギル”の姿を“視た”ものが何かという事だった。

エアルヌアが自分の中に“視た”彼の意に通じたものが何か、あの部屋に残された記録の中に自分が問うたものが何か、自分が答えを求めたものが何か。

それは拭い切れない謎となってソロンギルに纏わり付いた。

 

半月程逡巡して過ごした後、ソロンギルは再び地下層の書庫にと忍び入った。

 

幾つかの記録を拾い読みして分かった事は、その部屋に集められた記録が全て“王と執政の関係”に関わるものだという事だ。

それならば収蔵物の少なさも納得出来る。

執政を置いた王は、ゴンドールの長い歴史の中で僅か9代のみなのである。

その僅か9代の王が残した記録の中で、執政との関係を示すものだけを集めたのであれば、自ずと数は限られる。

そしてこの部屋を造ったタロンドールは、エアルヌアの代で王統が途絶えるとは予期していなかったのだろう。

偉大なる祖父ミナルディルと、惜しまれつつ早逝した人格者として知られる伯父テレムナールの後を継いで王となった自分が凡庸である事を自覚していたタロンドールは、齢も近く境遇の似通った彼の執政レンディオンに深く依存していた。

同時にタロンドールはレンディオンに裏切られる事を酷く恐れた。

それ故タロンドールは彼の執政に“閨房で取り交わされる臣従の誓い”を求めた。

王をその身の内に受け入れ臣従を誓った臣下が、ひとつ身となった王の意に背く事はない。

そう信じたタロンドールに因って取り交わされたこの“閨房の誓い”は、以後各代の王に執政との密約として受け継がれる事となった。

決して裏切られぬと信じればこそ閨で囁かれた政敵を陥れる為の謀議、謀略の数々を示す書付もまた、その部屋は秘していた。

それらの記録に残された玉座の孤独はソロンギルの心胆を寒からしめるに充分だった。

正史に燦然と輝く名にし負う王は、その名が眩い光を放つほど、内なる闇の深さを感じさせた。

だからこそ其々の王は、自らの闇を共に支え持つ執政に対し、一方ならぬ執着を抱いた。

タロンドールの後継、テルメフタール・ウンバールダキルの日誌を閉じ、ソロンギルは深い溜息を吐いた。

“ゴンドールの王位に就く者は王家の闇を知り、その闇を分け持つ執政を得よ、それが王の声だと言うのか?”

ソロンギルはデネソールの端正な顔を思い浮かべて眉根を寄せた。

確かにソロンギルはデネソールに興味を持っている。

だがそれは歴代の王達が記録に残した様な意味では、勿論、ない。

デネソールが如何に美しかろうと、臥所を共にするなどソロンギルには及びもつかない。

デネソールだとてそれは同様だろう。

そう考えてソロンギルはふとその胸中に“デネソールは王と執政のこの密約を知っているのだろうか?”という疑念を抱いた。

“知っていて尚あの様に真っ直ぐでいられるものか?”

ソロンギルは日誌をその場に残したまま、踵を返しその部屋を出た。

 

明け方近く居室に戻ったソロンギルは、短い仮眠の後遅い朝餉を取り、白の塔の地階層に足を運んだ。

案の定、そこに目指す男は居た。

 

デネソールが座る席のはす向かいに腰を下ろしたソロンギルに目を向ける事もなく、デネソールは古い書物を紐解く。

「城下で妙な噂が広まっていると聞いた」

ソロンギルの声にもデネソールは顔を上げない。

「北方に王在り」

書庫にはデネソールが書物の頁を繰る音だけが響く。

「南の国に北方より王還らば…」

「筋が違う」

ソロンギルの言葉を遮る低い声が書庫の静寂を震わせた。

顔を上げたデネソールは揺るぎのない声でぴしゃりと言う。

「北方に王在りせど、それは南の玉座が待つ王ではない」

目を瞠ったソロンギルから目を逸らさぬままデネソールは語を継ぐ。

「北方の王がゴンドールに王位を求めるのであれば、まずは小なりといえど、自らが治めるべき国を復興し、然る後、太祖エレンディルの大意に従い南北再統一を図る意を以て南方に王権の移譲を求めるが筋である」

ソロンギルはその言葉に声を失った。

「例え北方王家の末なる者であろうと、その者が筋を通す事無く王位を求めるのであれば、予はその者を王位を簒奪する者と見做す」

デネソールのその言葉を聞き終えた途端、ソロンギルは堰を切った様に笑い出した。

僅かに顔を顰めた執政家の嫡男に向かい、ソロンギルは笑いを噛み殺しながら言う。

「あんたの師が言ってたな。

 私達が最も近しい親族の様だと」

 

それは数日前、デネソールの師で地質学の学匠である老師が官邸にデネソールを訪ねた来た時の事である。

滅多に官邸を訪れる事のないその老師がソロンギルと顔を会わせるのはその時が初めてだったのだが、老師はソロンギルの顔を見るなり「これはこれは」と目を細め、弟子と客将を交互に見比べた後「最も近しい親族を見る様だ」と朗らかに笑ったのだった。

 

「あんた、王家に忠心なんざ持っちゃいないだろ?」

“どうもこの男の前だと仮面が剥がれる”

そう思いながら他人の目がないのを良い事に、“ソロンギル”は机の上に上体を投げ出し、嫡男を見上げてにやりと笑った。

珍しく苦虫を噛み潰した様な渋面を作った嫡男に

「あんたにとって、王とは何だ?」

とソロンギルは問うた。

「民だ」

間髪入れず答えたデネソールの声に、ソロンギルは机の上に投げ出していた上体をゆっくりと起こす。

「ゴンドールは王を待たぬ。

 玉座にはなくとも、王は既に民の中に在る」

きっぱりと言った嫡男はソロンギルの答えを待たず

「午後の評議には遅れるな」

と言い残し、古い書物を小脇に抱えて立ち上がると、書庫の出口に向かい大股に歩み去った。

嫡男のその背を見送りながら、ソロンギルのはひとつの確信を得ていた。

 

重臣達がずらりと顔を揃えた評議の場で取り澄ました彼らの顔をぐるりと見回したソロンギルは、デネソールの対面に席を取った。

上品ぶった重臣達は、その顔の裏で私腹を肥やす姦計ばかりが渦巻いている。

“魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿。

 それがこの国の王都だ“

対座する嫡男の灰色の瞳を見据え、ソロンギルは声に出さず問うた。

“あんた、それでもこの王都を護るか?

 あんたの愛する王たる民の為?“

その問いに答える声はない。

けれどソロンギルは既にその答えを得ていた。

 

評議を終え居室に戻ったソロンギルは、長衣の内懐から蛇の鍵が入った革袋を取り出した。

エアルヌアが何を“視た”にせよ、ソロンギルは自分が南方へ渡った意味の答えを既に得た。

“王の声”の内にその答えはなかった。

そしてソロンギルは、手にしたその革袋を長持ちの底に放り込んだのだった。

 

 

 

-了-

 

 

 

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