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「還る誓い」のこと

エアルニルは玉座に上る事を予期されていた王ではなかった。

それ故将軍エアルニルの妻の妹であるカレナエアールを、前王の執政ペレンドゥアの嫡男ヴォロンディルが妻に娶った時、それはその時点では名のある家の間で取り交わされる極当たり前の婚姻であった。

しかしエアルニルが玉座に就いた事で事態は一変した。

執政が王の外戚となり、より強大な権能を持つ事を危惧した高位高官の一部がこれに反発し、ヴォロンディルを時期執政に就けぬ様エアルニルに申し入れたのである。

当時執政は世襲制ではなかったが、初代執政フーリン以降、歴代の王はフーリンの血筋に重きを置き、各王ともフーリンの血縁者を自らの執政に選任してきた。

そしてヴォロンディルは、執政の嫡男と言うだけでなく、人望の上でも能力でも、まず間違いなく次期執政に任じられるものと目されていたのである。

但し一部の貴族達にとって王と執政の強固な結び付きは決し快いものではなく、この機に乗じて王家とフーリン家の繋がりを断ち切ろうとの動きが出た。

この動きに対し、王と貴族達の間に亀裂が入るのを案じた執政と彼の嫡男は、貴族達の意向を入れ、次期執政にヴォロンディルを選任せぬ様、新王に進言した。

だがエアルニルはこれを退けた。

統治経験の無い新王は、執政として長きに亘り王の統治を助けてきたフーリン家の助けを必要としたからである。

その為王は苦肉の策として、以降フーリン家が王家と姻戚関係を結ばぬ事を条件に、執政職をフーリン家の世襲とする旨の王命を下した。

王命である以上貴族達も渋々ながらこれを飲まざるを得ず、これ以降執政はフーリン家の世襲となり、フーリン家は執政家と呼ばれる事となるのである。

次期執政を巡る騒動はこれで一応の決着を見たが、この騒動は思わぬところに波紋を投げる事となった。

元々病弱な上、大層繊細であったヴォロンディルの妻カレナエアールがこの騒動を気に病み、幼い息子を残して早逝したのである。

この時代としては非常に珍しく、ヴォロンディルとカレナエアールの婚姻は、幼馴染の初恋を実らせたものであった為、ヴォロンディルは妻のこの死を深く嘆いた。

その嘆きの深さ故、彼は幼い息子を気に掛ける余裕を失った。

母を失い、父からも気に掛けられなくなったこの幼子に手を差し伸べたのがエアルニルの嫡男、当時太子であったエアルヌアである。

一説に依ればエアルヌアは叔母であるカレナエアールに淡い思慕を抱いていたとも言われており、美女として名高かったカレナエアールに生き写しと言われたこの幼子を深く愛し慈しんだ。

この幼子こそが、後にエアルヌアの執政となるマルディルである。

そしてヴォロンディルが妻の死から立ち直り、我が子に目を向ける余裕を持つまでに要した三年の歳月は、太子と息子の間に他者を立ち入らせぬ深い縁を結ぶに足る充分な時間を与えたのだった。

その三年の最初の年、カレナエアールが儚くなった年にエアルヌアは初陣を迎えていた。

マルディルが母を亡くしてひと月も経たぬ頃、そのエアルヌアが戦に赴く事となった。

エアルヌアが出陣するというその時、今のゴンドール人でいうところの四歳程であったマルディルは、母譲りの澄んだ碧の瞳に一杯の涙を溜め、エアルヌアの剣の鞘を離そうとしなかったしなかったという。

エアルヌアはそのマルディルを抱き上げ

「予は必ずそなたの許に還る。

それ故涙はその時流すがよい」

そう言い残して出陣したと言われている。

これ以降エアルヌアはマルディルを都に残して出陣する際、必ずこの誓いを立て都を後にしたのだが、これがゴンドールで名高い“還る誓い”と呼ばれる伝承の、最初の誓いを語るものである。

この“還る誓い”を語る歌にはエアルヌア王が立てた幾つかの誓いが歌われているが、中でも特に、後世最もよく知られた誓いは、エアルヌアが今のゴンドール人の年齢にして22の太子であった頃、北方王国アルセダインに遠征した時のものであろう。

北方王国滅亡の危機に際し、援軍として海を渡ったエアルヌアのこの遠征は非常な困難を伴った航海となり、北方へ向かう途上、優秀な海将数名と艦船二隻を失い、剰え北方王国滅亡の救援には間に合わず、北方王国の都フォルノストを陥落させたアングマールの魔王から北の地を奪還する戦には勝利したものの、敗走する魔王を追ったエアルヌアは、海上で失った愛馬に替えて騎乗した軍馬が魔王を恐れた為、逃げる魔王を討ち損じる、という慙愧を胸に刻む事となった。

この歴史に名を遺す北方での戦は、都を出立してから帰還まで、実に半年に及ぶ大遠征となり、北方から凱旋する艦隊がエゼルロンドに入港した際には、遠征部隊の帰還を聞き付けた群衆がエゼルロンドに殺到し、港は出迎えの人々で溢れ返ったと言われている。

その際エアルヌアは乗艦する旗艦が港に滑り込むか込まぬかの内、甲板から桟橋の上に飛び降りたのだが、その太子に向かって群衆の中から飛び出した一人の少年を即座に抱き上げこう言ったという。

「そなたの許に予は還った!」

太子のこの言葉にはらはらと大粒の涙を零したその少年の薔薇色に上気した頬に口付け、力一杯抱き締めたというエアルヌアとマルディルの、これが今日ゴンドールで最も名高い“還る誓い”の歌の一節であある。

その後も数多い戦に赴いたエアルヌアは一度としてこの誓いを違える事無く、執政となったマルディルもまた、戦場から還る王を待ち都を護ったのだった。

後年エアルヌアはアングマールの魔王に一騎討ちを挑まれた際にも

「どうかその慙愧に耐え、我が願いを入らせ給へ」

というマルディルの懇願を容れ、一度は出陣を思い留まった。

だが、その後再び魔王の挑戦を受けた時、エアルヌアは人知れず都を後にし、魔王との戦いに臨んだ。

そのエアルヌアが都を発つ前夜、密かにマルディルへ残した誓いがあると、今もゴンドールの国人達は信じて止まない。

その所以はエアルヌアが都を後にして消息を絶った後、マルディルがゴンドールの国人達の前で宣した言葉にある。

曰く

 王はいずれの後か

 必ず我らが祖国に還り給ふ

 我が執政家は王還り給うその日まで

 祖国を護り、我らが王をお待ち申し上げる

 

 

 

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