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三点の力学(後編) 2

 

角笛城攻囲戦に先立つ10日程前、メドゥセルドでは王の御前で評議の場が持たれていた。

その場では年々東からの影が伸びる中、東谷の領主でありエオメルの父であったエオムンド亡き後手薄となっていた東マークの防備に、マーク第3軍の投入が検討され議決された。

その第3軍に王の近衛である第1軍から副将格に昇格させたエオメルを配する人事も併せて採択されたが、これは何れ父の所領地であった東谷の領主にエオメルを任ずるに当たっては差し当たり適当な処遇であるとして異を唱える者はいなかった。

一部でエオメルを軍団長にという声がないではなかったが、初陣から5年という若さでは副将格は妥当な線であり、特に反論が出るでもなく、そこまでは滞る事なく粛々と議事は進行した。

 

ローハンの継嗣という立場では故無く評議の場を欠席する訳にもいかず、セオドレドは睡た気な表情で評議の場を眺めながら、椅子の上で組んだ脚をぶらぶらさせていた。

 

世継ぎのその様子をちらちらと窺っていた重臣の一人が、おもむろに口を開いたのはその時である。

「東の守りはそれで宜しいかと思われますが、西の守りに関しましては、現在角笛城に配されております警備兵をエドラスに引揚させる事を提案したく存じまするが、御一同いかがでしょう」

「角笛城の警備兵を?」

重臣の言葉に、ぶらぶらさせていた脚を止めたセオドレドの眉が跳ね上がる。

「そなたは西の守りを委棄せよと申すか?」

その重臣は平身低頭しつつも悪びれる様子のない声で言う。

「そうは申しておりませぬ。

 引揚させる兵に代わり、角笛城の防備には殿下の第2軍から半数程を割いて頂ければ宜しいかと存じております」

「我が第2軍をだと!?」

声を荒らげたセオドレドが椅子を蹴立てて立ち上がる。

「馬鹿を申すな!

 我が第2軍は神速の機動力を以て旨となす軽騎兵の部隊ぞ!

 城塞警備の如き拠点防衛には最も不向き!

 その方、それを承知の上でむざむざその様な任に我が第2軍の兵を就けよと申しておるのかっ!」

その重臣は、空気を震わせるセオドレドの怒声にも全く動じる気配を見せない。

「恐れながら殿下」

と言う声には、しかし決して主君たる王の世継ぎに対する敬意は含まれていない。

「西マークを預かる領主が後継を残さぬまま早世した後、城主を欠く角笛城に、王城より直轄の守備兵を置く様進言されたのは殿下御自身であられたと、このガルモド、記憶しております」

「如何にもそう申した。

 当然であろう。

 アイゼンガルの領主を宣する妖術使いめが我がローハンの西境を脅かしておるのだ。

 今こそ角笛城を置くヘルム谷の守りを固めずして何とするか」

憮然とした表情で腕を組んだセオドレドは、ガルモドという名のその重臣に目を据えたまま更に語を継いだ。

「聞くところに拠れば彼の妖術使いめは、我等の敵と通じておるとも囁かれておるそうではないか」

顔を伏せたままのガルモドからはその表情は窺えない。

「確かに殿下が妖術使いと呼び習わされておられまする白のサルマン殿は、度々このローハンの国境に侵入し、その所業には我々も悩まされてはおりますが、白の魔法使いであられるサルマン殿は西方から遣わされた賢者であり、白の会議を主催するイスタリの長。

 敵と通じているとは噂にすぎず、もとよりこのローハンに戦を仕掛けてきているという事実もございません」

「その方…何が言いたい」

顔を上げぬまま舌先だけを滑らかに滑らせるガルモドを睨み据えたセオドレドの声が低く響く。

「現在角笛城で警備の任に就いている第1軍は、本来玉座をお護りするが本分の近衛でございますれば、故無き噂の影に備えよと殿下が仰せになられます上は、殿下御自身が手勢を率いて角笛城に赴かれるが道理かと存じます」

「貴様っ!」

言うが早いか、あっと思う間もなく円卓の上を駆け抜けたセオドレドは、避ける暇も与えずガルモドの胸ぐらに手を伸ばし、その貧弱な体を掴み上げる。

「ひっ」と息を飲んだその重臣は、ただでさえ青白い顔を更に一層青ざめさせ、宙に浮いた足をバタつかせた。

「セオドレド!」

父であるセオデンの声に、セオドレドがガルモドの襟元を掴んでいた手を緩めると、その小男は床に倒れ込んでごほごほと噎せ返る。

「いい加減にいたさぬか」

父の声には息子に対する非難の色が濃い。

「予の見るところでは今回の件、ガルモドの言い分に理がある様に思う」

「父上っ!」

ガルモドとセオドレドを交互に見遣りながらセオデンはうんざりした声で言う。

「何もそのまま角笛城に常駐せよと申しておるのではない。

 空席となっておる西マークの領主が決まるまでの間だ」

床に這いつくばった男の口元に狡猾な笑みが浮かぶのを目の端で捉えながら、セオドレドはぎりっと奥歯を噛み、きつく拳を握り締めた。

 

 

「その様な事が…」

セオドレドの話に眉を曇らせたボロミアは吐息とともにそう呟いた。

「それだけではない。

 翌日、初陣の頃より私に仕えていた副官が原因不明の急な病に見舞われ床に伏したのだ」

「あの副官殿がですか?

 ご老齢とはいえ、大層矍鑠としておられた様にお見受けいたしておりましたが」

「勿論だ」

ボロミアの言葉にセオドレドは腕を組んで胸をそらす。

「あの爺めは今だに私の事を子供扱いしおって、城を抜け出して出掛けた折など、下手に戻って爺に見つかったりなどすると、散々追い掛け回された挙句長々と説教されて閉口する程なのだ。

 あの口煩い頑固者の爺の前では、病など尻尾を巻いて逃げ出すわ。

 事実これまで爺は、戦での負傷はあっても病で床に臥せった事など一度たりとしてない」

「それでは…」

セオドレドは無言で頷く。

「爺の代わりに父上の命で副官として付いたのがガルモドの息子だ」

「それ故セオドレド殿はあの者を怪しんでおられましたか」

「あれは父親同様蛇の舌を持つ男だ。

 どの様な甘言を弄して父上に取り入ったか知らぬが、あの様な男に信を置く価値など微塵もないわ」

セオドレドは吐き捨てる様にそう言った。

「セオドレド殿」

ボロミアの気遣わし気な声に耳を留めたセオドレドは、自分を見詰める翠玉の瞳に哀切な影が過るのを認め、がらりと声の調子を変える。

「しかしまあ、こうして」

と脚を伸ばしたセオドレドは

「我が身に傷一つ負う事無く、私はここにこうしておる。

 捕えた捕虜を締め上げて真相を明かし、彼の重臣の責を問うて“蛇の舌”共々父上のお側から引っペがしてやれるという訳だ」

そう不敵に笑った。

セオドレドのその様子にほっと安堵の表情を見せたボロミアが、ふと気付いた様に

「“蛇の舌”とは?」

と問うのに答え

「グリマというが副官面したあれの名だが、“蛇の舌”の方が余程似合いであろう?」

そう言って人の悪い笑みを浮かべるセオドレドの言葉に、ボロミアはつい苦笑する。

そんなボロミアの方へずいっと身の乗り出したセオドレドが

「この様に全て上首尾に運んだは、エオメルに託した我が言を信じ、そなたが角笛城までの長途を馳せ参じてくれたお陰だ」

そうボロミアの瞳を覗き込んで言えば、当のボロミアは、心底驚いたという表情で翠の瞳を綺麗に丸くして言う。

「何を仰せになられます。

 友の言葉を信じるは当然の事ではありませぬか」

そのきょとんとした、恐ろしく無防備なボロミアの顔を見るセオドレドの口元には、自然と甘い笑みが零れる。

“これだからそなたには敵わぬ”

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