がんばれ!ファラミア
~執政家に首ったけ~
三点の力学(後編) 14
ミナス・ティリスの近衛部隊と共にエオル王家の塚原を通り過ぎ、エドラスの城門前まで馬を進めたセオドレドは城門の前で一旦馬を止めると
「よいな、ボロミア」
と隣に轡を並べる朋友に向かって言った。
「そなたは王に御挨拶申し上げた後は此度の件を御報告する場に立ち会う事無く、速やかに王の御前を辞してくれよ」
「しかしセオドレド殿、それでは…」
と渋るボロミアに
「駄目だ、そなたは嘘がつけぬ。
私が王に御報告申し上げる場に立ち会うだけでも顔に出る。
それでは折角大公殿がそなたに託して寄越したこの書状が無駄になる」
そう言ってセオドレドが内懐から取り出した羊皮紙を見遣ったボロミアは、諦めた様に小さく一つ溜息を吐いた。
それはエオメルから今回の件を知らされたボロミアが、出兵の許しを得る為執政である父の執務室を訪れた折、大侯自身がしたためたものであるり、ボロミアが出兵の許しを得て部屋を辞す際デネソールから受け取り、セオドレドに渡ったものである。
「これをあの跳ね返りめに渡してやるがよい。
事に依っては役に立とう」
デネソールはそう言ったのだった。
ボロミアは観念した様にもう一度溜息を洩らすと
「承知致しました」
重々しくそう言った。
城門を抜け暫くすると王の居城、黄金館が見えてくる。
その黄金館の門前で仁王立ちになっている人物に目を凝らしていたセオドレドは、それが誰かを認めた瞬間、ぱっと表情を明るくした。
「爺か!」
黄金館に到着した一行を出迎えたセオドレドの老副官は頬から顎まで見事な白い髭を蓄え、髭同様の白い髪を吹き渡る風に弄らせ乍ら
「お帰り待ちかねましたぞ、殿下!」
と、満面の笑顔でそう言った。
玉座の間にセオドレドと共に現れたボロミアの姿を目にした途端エオウィンは、きゅっと唇を引き締め、表情を固くした。
セオドレドの伝令がメドゥセルドに到着した時伯父であるセオデンは、王家の一員として同盟国の公子ボロミアの挨拶を受ける場に同席する様エオウィンに言った。
王である伯父の命に従わぬ訳にもいかず渋々その場に同席はしたものの、出来る事ならエオウィンは、ボロミアの顔を見たくはなかった。
セオデン王に挨拶の口上を述べるボロミアの、大層良い声に思わずちらりと視線を向けたエオウィンは
“確かにお美しい御方ではあるのだわ”
そう認めざるを得ない。
しかし、
“戦場でお見掛けするボロミア殿は、正しく”光の君“のふたつ名に違わず、剣を振るう度金の髪が陽光に煌いて、それはもう、さながら軍神の様であられるのだ”
頬を紅潮させ、そうエオウィンに熱っぽく語った兄の顔を思い出せば、つい眉間には皺が寄る。
金の髪というならば斯く言う兄も、そしてエオウィン自身も母の血を引く金の髪の持ち主である。
但しエオウィンの髪は金と言うには色が薄く、どちらかと言えば金より銀に近い。
エオウィンと違い兄は豪奢な金の髪を持つが、ボロミアのそれは兄の黄味掛かった明るい金とも違う甘い蜜色で色味が濃く、日の光を受けると正しく黄金色に輝いた。
“黄金の髪を持つ乙女”
エオウィンの脳裏にふとその言葉が浮かんだ。
半年程前、セオドレドが旅の吟遊詩人を自室に招き一編の詩を歌わせた事がある。
騎馬民族であるローハンの民は概して屋外での活動を好み、伝承学だの詩歌だの、その手の典雅や風流とは縁遠い。
セオドレドなどは見てくれこそゴンドールの人であった母の血筋で典雅極まりないのだが、中身は生粋のロヒアリムである父王・セオデンより遥かにロヒアリムの気質が勝る。
室内に籠って詩歌を吟じる時間があるのなら、狩りに出て野を駆け、泥に塗れて猪豚でも追っている方が良いという人なのだ。
その従兄が自室に吟遊詩人を招いたと聞いた時、エオウィンは何と珍しい事がある事かと訝しんだのだが、同時に“なぜ吟遊詩人を?”とひどく興味もそそられた。
それ故エオウィンはそれとなくセオドレドの居室の周りをうろうろとし、思惑通り当の従兄に「そなたも聞くか?」と声を掛けられ、首尾よくその場に同席したのだった。
だがエオウィンは、その歌を聞いて唖然とした。
その歌の内容というのがこうである。
昔々、南の国の高い塔に、黄金の髪を持つ大層美しく高貴な姫君が住んでおりました。
陽光に黄金の髪を煌かせ高き塔の窓辺に立つ姫の美しさは、やがて国中の評判と
なり、噂を聞きつけた多くの騎士が姫に求婚しようと南の国にやって来ました。
しかし姫は塔の中から出ようとはせず、騎士達は姫に会う事さえ叶いません。
なぜなら姫が生まれた時に
「何れ北の国より魔王来たりてこの姫を求めん。
姫塔を出でたれば、魔王これを攫いて北の国へと再び去りぬ」
という予言がなされた為、姫の父君が死に際し、こう姫に言い残したからなのです。
「我亡き後、汝心して塔を出るべからず」
そして姫は亡き父君のその言付けを忠実に守り通していたのです。
けれど姫の噂は遂に北の国にも届く事となり、予言通り魔王はやって来ました。
黒髪を靡かせ南の国に降り立った魔王は姫を塔から連れ出そうとしますが、亡き父君
の御遺光に護られた塔には容易に近付く事が出来ません。
そこで一計を案じた魔王は塔の窓辺に集う小鳥達を操り、塔の外の世界がどれ程楽しく美しいところかと姫の耳に吹き込ませました。
一人寂しく塔に暮らしていた姫は、朝な夕な窓辺に集う小鳥達の囁きに耳を傾け、次第に塔の外の世界への憧れを募らせてゆきました。
そしてある日とうとう亡き父君の言付けに背き、姫は塔の外へと足を踏み出してしまいます。
するとそこへ魔王が姿を現し、驚いて塔に戻ろうとする姫を捉えて胸にかき抱き、姫を我がものにせんと、その薔薇色の唇に口付け様としたのです。
とその時、白金の甲冑に身を包んだ一人の騎士が歩み出て、黒髪の魔王にこう言いました。
「貴様に姫は渡さぬぞ。
姫が欲しくばこの私を倒してみせよ」
こうして三日三晩、白金の騎士と黒髪の魔王は黄金の髪を持つ姫を巡って激しい
攻防を繰り広げました。
そして3日後、遂に白金の騎士は北の国より来たった黒髪の魔王を退けました。
白金の騎士に敗れた魔王は
「此度は引くが、何れ必ず姫は我がものとなろう。
然ればそれまで暫しの間、我が姫は貴様に預けおこうぞ」
こう捨て台詞を残し、北の地へと去って行きました。
白金の騎士は魔王が去るのを見届けると、姫の前に跪き、愛の誓いを立て白金の兜
を取りました。
しかしその兜の下から色の薄い金の髪が波打って現れた時、鎧に掛けられていた魔法が解け、白金の騎士が実は幼い頃行方知れずになった姫の実の
弟君である事が知れたのです。
愛する姫が血を分けた実の姉である事を知った白金の騎士は嘆き悲しみ、姫もまた弟
の嘆き悲しむ姿に深く胸を痛めます。
悩んだ末姫は、白金の騎士の前に金色に輝く小さな木の苗を差し出して言いました。
「この木の苗には育って実を結ぶ事が出来ぬ魔法が掛けられています。
けれど本来これは、育てて金の実を実らせた者の願いを、どんな願いも必ず一つだけ叶えてくれる、という魔法の木の苗なのです。
どうかこの木の苗に掛けられた魔法を解き、金の実を実らせて下さい。
この木が育ち金の実をつけた時貴方の願いは叶い、私は再びこの地に戻るでしょう」
こうして黄金の髪を持つ高貴な姫は白金の騎士に1本の木の苗を残し、何処へとも
なく去って行きました。
そして甲冑を脱ぎ捨てた白金の騎士は金の木の守りう人となり、いついつまでも姫
を待ち続けたのです。
「確かボロミア様には弟君がいらっしゃったのではありませんか?」
歌が終わった時、エオウィンは年上の従兄にそう訊ねた。
「ああ、いるぞ」と快活に答える従兄の笑顔を見てエオウィンは、何とも複雑な心持になる。
エオウィンに面識はないが、その弟君がボロミアと大層兄弟仲の良い事はローハンでもつとに有名で、それはエオウィンの耳にも届いている。
しかしこの歌が作られたのが従兄から聞いた通りの経緯ならば、歌の基は容易に知れようというものだ。
その上でこの内容である。
これでは宛も執政家の弟卿が兄君に恋心を抱いているかの様に聞こえかねない。
これがゴンドール高官の耳にでも入れば執政家を誹謗中傷したとの罪にも問われかねないところであろう。
そう思って見れば、何やらその吟遊詩人も胡散臭い。
旅装の外套は埃塗れで垢じみており、その上頭巾を深く引き被って顔もよく見えない。
僅かに覗く痩せた顎には無精髭が疎らにはえ、伸び放題の縺れた黒髪も決して好印象とは言い難い。
頭巾を取らぬ訳を“顔に醜い傷がありますので”と言った癖のある掠れ声はもごもごと歯切れが悪く、本当にこれで吟遊詩人なのかと怪しんだ程だ。
そもそもエオウィンはこの俗歌の藍本となった昔語りが嫌いだった。
幼い頃初めて女官からその昔語りを聞かされた時エオウィンは
「どうして“黄金の乙女”は死ななければならないの?」
としつこく質し、大いに女官を困らせた。
「それは愛する騎士様が実の兄上なのですから…」
何度もそう繰り返す女官に
「どうして兄上ではいけないの?
お互い好き合っているならそれでよいではないの」
そうエオウィンは頬を膨らませたのだ。
その頃はエオウィンが
「私大きくなったらお兄様の奥方様になるの」
と言えば、周りの者は皆微笑ましく頷いたものだった。
“けれど”
とエオウィンは哀しく思った。
“今私が同じ事を言ったら、誰も微笑ましく頷いたりなどしてはくれないわ”
例えこの様に仲の良さが揶揄される歌が歌われるにしろ、この弟卿と自分は違うのだとエオウィンはじくじくとした胸の痛みを感じる。
“どれ程仲がおよろしくても、結局のところ弟君にとってボロミア様は兄上なのだもの。
歌の通り姉上だと言うのならともかく…“
瞼の裏にエオメルの屈託のない笑顔が浮かび、エオウィンは胸の内で小さく吐息を零す。
つい、と目線を上げた先で、蕩ける様な笑顔をゴンドールの公子に向ける従兄と、眩いばかりの笑顔で友に応える白の塔の君を認めたエオウィンの胸には行き場のない苛立ちが沸々と湧き上がる。
“いっそ殿下がボロミア様と懇ろになって下さればよろしのよ。
そうすれば私の気鬱の種だって多少なりとも減じられるのに…“
慎み深くあるべき乙女にあるまじき、その様な思いまでがふっとエオウィンの脳裏を掠める。
その時、じっと注がれているエオウィンの視線に気付いたボロミアがエオウィンに目を向け、にっこりと微笑んだ。
瞬間その笑顔に目が眩みそうになったエオウィンは、ぐっと奥歯は噛み締めると、ぷい、とボロミアから目を逸らした。
“ボロミア様が悪いのよ。
人の気も知らないで、あんな風に笑ったりなさるから“
どうにも惨めな気持ちで唇を噛むエオウィンの頑固に眉根を寄せた表情と、そんなエオウィンを気遣わし気に見遣るボロミアを交互に眺めながら、セオドレドは人知れずそっと笑いを噛み殺していた。